闇打つ心臓
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伝説的な自主映画としての『闇打つ心臓』。23年経てつくられた『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』。闇打つ心臓とは何なのか?関係者や監督たちに聞いて回る、リレーインタビュー。
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内藤剛志さんインタビュー
1982年の『闇打つ心臓』で、内藤剛志氏は荒々しい主人公リンゴォを演じた。当時まだ20代だった内藤氏は、いよいよ俳優として本格的に仕事をし始めた頃だった。あれから23年。再びリンゴォとして『闇打つ心臓』に主演した内藤氏に、現在の心境を聞いた。


f0087322_12242265.jpg─突然ですが、今回の『闇打つ心臓』、どんなふうに見て欲しいと思われますか?

映画を見て、「こんな話だったよ」とストーリーを語る人がいますよね。でも決して、ストーリーを語れることが、すなわち映画を見たことにはならないでしょう。もし感想を聞かれて、「うまく言えないから、あなたも見てきてよ」という言い方をしたら、それが一番いい宣伝方法かもしれないよね。ストーリーを伝えるだけなら、セリフを朗読してもいい。ストーリー以外のことをなんとか伝えたいと思うから、僕ら俳優っていう存在がいる。どんな服を着て、どんな風に動いてっていう。見ることも聴くことも触れることもできない、ある気持ちっていうものを観客に提出するための、ありとあらゆる方法を僕らはやっていくわけだから。無理に理解しようと努めるのではなく、ただ2時間体験してほしいですね。

─映画の冒頭で「俳優・内藤剛志」と「女優・室井滋」が出てきますよね。ここで観客はもう混乱してしまうのです。素の俳優によるドキュメンタリーを撮っているんじゃないか、とか。

すべて台本に書かれています。でも、ドキュメンタリーと思って見てくれても全然構わない。僕は、カメラがあってそこに自分がいれば、すでに演じているんだろうと思います。結婚式のスピーチとかでもそう。誰かに見られている、カメラに記録される、そう意識した時点で演じている。逆に、誰も観客のいないところで演じることは不可能じゃないでしょうか。

─「俳優・内藤」として昔の自分を「殴りたい」というシーンがありますが、「殴る・殴らない」ということはこの映画においてどんな意味があるんでしょうか?

なんで殴りたいんでしょうかね(笑)。あれは、「殴りたいんだ俺は(内藤)」って台本に書いてあったから。でも、罰したいんでしょうね、きっと。あるいは、リメイクされるこの映画に参加するための切符として言い出したのかもしれない。「殴りたいんだ」って言えばとりあえず参加はできる。室井も「救ってあげたい」なんて適当なこと言って(笑)。少なくともテーマではないと僕は思います。ただ、長崎とは19歳くらいの時に初めて一緒に映画を作って、これまで何度も仕事をしてきましたが、一度も映画のテーマについて話したことがないんです。役柄のディテールに関してはオーダーがありますよ。こういう服を着て、こういう動きをしてっていう。でも「こいつはこういうヤツだから」なんていう話はしない。

─それは長崎監督との間でのみ成立することなんですか?

他の監督のときでも、あんまりそういう話はしないですね。「この役はこうだからこうしてああして」なんて言葉ですべて説明できるなら、監督自分でやってください、という。正解がお互いに分からないから、実際にやってみるしかない。「俺はこう思う。違ったら言ってくれ」という風に。ひとつのセリフを表現するのに1000通りくらいの演じ方があるとしたら、そのどれなのかはやってみないとわからない。リンゴォという役が台本に書かれているけれど、そこに答えがあるのではなく、答えを出すために自分はこの役をやっているんですね。やりながら、リンゴォは伊奈子を、伊奈子はリンゴォをどう思っているんだろう、と常に考えている。考えることが演じることだと僕は思っています。

f0087322_1225484.jpg─今回のスタッフ・キャストには、オリジナル8ミリ版の『闇打つ心臓』と関わっていない人も多いと思いますが、映画を見ているとどうしても「23年前の映画に落とし前をつけたいのだ」という風にみえます。

あれはフェイク。過去を変えられるのか、ということのフェイクとしてやっている。お客さんも、23年前の映画があった、という前提で見る人は少ないんじゃないでしょうか。あの映画が本当にあったのかどうかもわからないし。もしかしたら嘘かもしれない。僕は、23年前にこういう映画があった、という前提ではやっていない。全く新しい映画と思っているから、スタッフもキャストも全員初めてのメンバーだ、という気持ち。今回の映画の構造は複雑でしょう?その構造を楽しんでもらいたい、ということと、構造を一切忘れて見て欲しい、というものすごい矛盾したお願いです。

─映画が終わっても、まだ物語は続いているという感じがしますよね。例えば、あの2人はまた何年か後に再会するだろう、とか、ひょっとして2人はもうすでに死んでいるんじゃないか、とか。

ああ、それは面白いですね、そういう見方は大歓迎です。別に正解というのではなく、そういう見方もできるよね、という。僕なんかは、自分の役柄が「実は死んでるんじゃないのコイツ」と思ってやってることが割と多いです。寅さんとかもそうでしょ。死んでるんですよね、寅さんてきっと。とらやの人たちにとって、「こんな人がいたらいいな」という幻想で、幽霊なんですよ実は。っていう見方もできるわけで。答えを聞いてしまうとつまらない。答えがないって言われるとがっかりしちゃう。大体『闇打つ心臓』というタイトル自体、聞いたことがない日本語でしょう。主語はなんなのか、とか。でも面白いじゃない?って長崎は思っていると思う。

─ここまでお話を伺って、ようやく分かりかけてきました。映画について意味を知ろうとするのではなく、自分なりに感じて楽しめばいいのだな、と。

うん、多分長崎にね、10時間くらいインタビューしても答えなんて出ないと思うよ(笑)。なんで俺たちは「理解しようとする」かね?音楽だったら、理解しようなんて思わないでしょう。ポカーンと聞いて、ダイレクトに感じる。そんな感じに映画がなればいいなあ。ストーリーは忘れちゃってても、ずっと残る映画ってあるでしょう。子供の頃『007』を見てたら、こういうシーンがあったんですよ。女の子が「あたしが運転するわ」て言って席を替わってジェームス・ボンドの帽子をかぶる。すると対向車から撃たれちゃうんだよね、間違えられて。それを見たときに「世の中って幸せじゃないかもしれない」って強く思ったのね。ストーリーとしては印象に残っていないけれど『クレオパトラ』もそうなの、「死んでるじゃんクレオパトラ!!」ってすごくショックを受けたの。世界はハッピーじゃないかもしれない、って。その感覚が、僕の原体験かもしれないね。

─最後に、これから映画を見る人に向けてメッセージをお願いします。

これまでの映画やドラマに対する見方を、少し変えてみるのも楽しいかもな、ってことが伝わると嬉しいですね。映画や演劇を見る=理解するって思い込んでいる人が多い。理解するんではなく、種をもらいました、くらいでいいと思う。何年後かに花が咲きました、っていう。とにかく、あれこれ考える前に、出会ってからお話しましょう、という感じかな。


俳優・内藤剛志とリンゴォ。二つは彼の中で不可分なものなのかもしれない。

次は、内藤氏と同じく、当時伊奈子役で主演し、今回も同役で登場している室井滋氏のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-13 12:26 | インタビュー