闇打つ心臓
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伝説的な自主映画としての『闇打つ心臓』。23年経てつくられた『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』。闇打つ心臓とは何なのか?関係者や監督たちに聞いて回る、リレーインタビュー。
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諏訪敦彦監督インタビュー

当時助監督として参加していたのが、現在フランスで新作『UN COUPLE PARFAIT』が公開中(日本では06年公開予定)の諏訪敦彦監督(『2/デュオ』など)。長崎監督の一番近くにいた彼は、長崎監督から何を感じ取ったのであろうか。


f0087322_12492484.jpg─どんな経緯で長崎監督の助監督をすることになったんですか?

まず、東京の「斜眼帯」というグループの自主映画の上映会で、山本政志さんや飯田譲治さんと出会いました。彼らは大変過激な8mmを作って上映するとい うのをやってたんです。僕は客で行ってて、そのとき「僕も8mm撮ってるんですよ」「じゃ、見せろよ」ということで見せたりしてました。山本さんは面白かったですね。彼の関心は劇映画だけじゃなかった。許容範囲が広い。だから僕の個人映画も面白がってくれて、じゃあ、お前カメラやれよと。それが『聖テロリズム』という映画なんです。スタッフとして半年くらい関わりましたけど、カメラマンは途中でおろされました(笑)。僕もぼろぼろになって、もうこの人と二度とやることはないだろうなと思ってたんですが、長崎さんがインするから、お前スタッフで行けと。後から考えたら嬉しかったですね、それは。

─それが『九月の冗談クラブバンド』ですか?

はい。そこで僕は初めて35ミリの助監督をして。で、事故が起きて。この事故以前の長崎さんと、事故以後の長崎さんが随分違うという印象があります。 『九月の〜』の再開前というのは、それまでの長崎さんのやってきたことのヴァージョンアップした集大成を一般映画の中でやろうとしてました。だからとても一千万という額の中ではおさまらないフィクションだったんです。長崎さんもそういう自覚はあったと思いますよ。結果的にたまたま事故になっただけなんだけど、その事故はいったい何だったかを考えようというのが、長崎さんの中にあったと、端から見ていた僕はそう思いましたね。それを一番感じたのが、『闇打つ心臓』でした。長崎さんはあのとき生死を彷徨って、半年はリハビリしているような状況でしたね。長崎さんはそこで映画の外側に生きるとか死ぬとかで人間が直面している様々な現実があるということに、全面的に出会わざるを得なかった。で、自分の『九月の〜』の失敗を反省し、今自分たちに出来る最小限のことをやるという非常にはっきりした割り切りがあった。だから、この8mm版の『闇打つ心臓』は、一日の話で、二人しか人が出ない、そういう非常に限定された状況の中で映画を作ろうと。僕が思ったのは、あ、人が、自分が生きていくために映画を作るということが本当にあるんだと。それまでは、映画に対する思いとか映画に対する気持ちを実現させていくというのがあったと思うんですけど、それは映画の中の問題ですから。だけど、自分が映画を作るっていう行為を、自分が生きるっていう行為と、重ねていくような、自分がやったことに対する反省を、映画を作ることでやってる。だから僕はむしろ、それ以前の長崎さんの映画と決定的に違うものに見えました。自分のやって来たことを自己批評している、非常に真摯な映画だと思いましたね。

─そういう長崎監督の影響は大きかったですか?

やっぱり『闇打つ心臓』の体験は大きかったですね。その当時の状況でいうと、いかに人と違うことやるかとか、自分の世界はこうだというこだわり方をして いた。しかし長崎さんは自分に対して作る。そういうことが現実にあるということは、助監督として今まで経験していませんでした。でも、潜在的な願望としては、生きていくことと映画をもう少し不可分なものにして考えてみたいというのはあったんです。それを目の当たりにした作品が『闇打つ心臓』。この現場に立ち会えたことは、こういう映画が出来るというリアリティをすごく感じて、それがあるからこそ自分でもやってもいいんだと思えた、自分にとってとても重要な作品でした。

─23年後の『闇打つ心臓』はどうでしたか?

68年以降個人主義になるわけじゃないですか。個人という単位、カップルという共同体というものが逆に政治的な単位として描かれている映画。つまり、以前の日本でいうと、政治的なものは政治的なものとしてどこかにあって、そこにお前らは参加するのか逃げていくのか、という問いかけがあって。でも、そういう大きな話じゃなくてね、結局生きてることが全部政治的なことなんだ、だから、彼らが子供を殺したというのは、家族という政治的な枠組みから逃れられない。長崎さんもそういう政治性は全然意識していなかったと思うけど、今から思えば、この二人を描くということの中に、そういうある社会的なものへの抵抗があったような気もする。ただ、同じことをまた今やると、カップルの映画がまとっているはずのそういう政治性みたいなものが脱色されてしまう。というふうにも見えますよね。だからそういう意味では実験なんだよね。映画内的な実験ではなくて、社会学的な実験の側面がありますよね。人生と映画に関する実験というか。

f0087322_1250132.jpg─この作品を撮る意味が長崎さんにあったと思いますか?

意味?うーん。おそらく長崎さんも意味と聞かれたら困るんだろうなと思いますね(笑)。それはすべてにおいて言えるかも知れないけど、生きていることに意味があるのかと問うことと同じように。23年前の映像というのは、23年間という時間によって成立している映像だから、かなわないですよね、そう考えれば。だからそれを使ってしまうとかなり難しいことになるだろうとは思いますが、でも、そのことは映画にしかできないことだし、多分、この作品を撮ることに意味というよりは、関心があったんじゃないかと。今、自分が作れるフィクションと自分が過去作ったフィクションにどういう関係があるのかとか、どういうふうにそれを編集できるのだろうかとか。その間に一緒に時間を生きてきた俳優がいて、彼らとまた今どういう映像を作ることが出来るだろうか、そういうことに対する非常に具体的な問いかけだったと思う。これはふたつのカップルの映像をモンタージュする映画ですよね。そのモンタージュがいったい何だろうかということを問いかける映画だと思います。この映画を見た後でどんな会話がなされたり、どんな言葉が交されたりするのかということが問題なんじゃないのかな、そういう現代性がありますよ。

─フェイクドキュメンタリーのシーンに関してはどう思われましたか?

常に映画の中には、ドキュメンタリーとフィクションは両方混ざっていて、ふたつは不可分だと思います。この映画のドキュメントは、フェイクドキュメントのシーンにあるのではなくて、ふたつの映像がモンタージュされた中にあって、そこでこのふたつの映像を一緒に見るということの中にある。23年間という時間はどういうふうにしたって現実の時間として横たわっているわけですよね。そのことがドキュメンタリーなのであって、作られ方がドキュメンタリーかフィクションかという問題ではなく、このフィルムを編集してつなぐということがドキュメントなんですよ。

─昔の『闇打つ心臓』と現在の『闇打つ心臓』の違いは他に何かお感じなりましたか?

もう一回映画と出会いなおす、という長崎さんのある意志の強さが『闇打つ心臓』の8mm版を成立させていくところがあったんですが、今回はそういう意味 でもっと軽やかですよね。全部映像だから。23年間時間が経っていても映画というのはフッとつないでしまうことが出来る、そういう意味では軽やかだと。 あまりそこに重みを引き受ける感じがなかった。昔の8mmのほうは、ものすごく閉息した空間の中で作っていて。窓の外は見えない。だから、過去も未来も 現在も二人の間にしか起きない、この空間にしかないという描き方をしている。つまり、見えないものが見えてくる。そういう意味では、現代版のほうが、映画のあるリアリズムと無関係ではいられないわけですよね、そこで、内と外というものが、均一な現実性の中に広がってる、そういう意味でこの二人の閉息が ユートピアにはならないと。そこに内藤さんが割って入ってくるわけですが、その内藤さんの殴ろうという気持ちも結局自分に向かっているわけですからね。ただ、この映画が実際にあったということが事実として残る。でも、そういう映画って日本映画の中でなかったと思います。

『フィクション』と『ドキュメンタリー』の境界線。そして『フィクション』と『ドキュメンタリー』の違いを再認識させてくれた、そんなインタビューだった。
次回は長崎監督と同時期に自主映画界で活躍していた黒沢清監督にインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-20 13:08 | インタビュー