闇打つ心臓
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伝説的な自主映画としての『闇打つ心臓』。23年経てつくられた『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』。闇打つ心臓とは何なのか?関係者や監督たちに聞いて回る、リレーインタビュー。
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佐々木史朗さんインタビュー

『闇打つ心臓』にまつわる様々な証言を得たリレーインタビューもついに最終回。大トリは、『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』のプロデューサー、佐々木史朗氏。今なぜ、もういちど『闇打つ心臓』なのか?


f0087322_171046100.jpg−『九月の冗談クラブバンド』が長崎監督の作品を最初に佐々木さんがプロデュースした作品ということですが、企画が立ち上がったきっかけを教えて下さい。

いつも新しいやつを探してて。東京の学生で自主映画を作ってる人間をひとり、出来たら関西でやっているやつをひとり、探していたんです。大阪と東京で同時に映画を撮ろうと。関西は井筒(和幸)なんだけれども。だから長崎が撮った『九月の冗談クラブバンド』と井筒が撮った『ガキ帝国』は予算が同じです。大体1千万ぐらい…、結果1千万は越えちゃったけどね。それ以前からずっと自主映画は見ていたから、その中で面白い人はだれか、と思った時に長崎俊一、石井聰亙、山川直人かなぁ、と。長崎とはその前からちょっと会ったりしていたので、やってみようか、ということが始まりですね。

−当時の1千万は低いんですか?

低いね。今の感じでいうと3千万とか4千万ぐらいの感じ?自主映画ってね、お金あるのかないのか良く分からない。自分らの力に対しては払ってないからね。実際にかかったお金しか払っていない。へたすると5万しかかかってないとかするじゃない。商業映画と比べてなんともいいようがないよね。

−長崎さんは35mmを経験して、それがきっかけで8mmでまた撮ろうとして撮影したものが『闇打つ心臓』であるわけなんですが、その流れというものは…。

多分事故で入院しているあいだにずいぶん考えたと思うんだよね、長崎は。入院していてやることがないから考えることしか出来ない。事故で中断した段階で『九月の冗談クラブバンド』は3分の2まで撮り終ってたんだよね。「もうしょうがないからこれでおしまい」と僕は心の中でピリオド打ったんです。でも、暫くしてさ、長崎が俺の所に来て、「あれ、続きやらせてくれませんか」って。俺の方は言ってみれば未完成の映画のままで置いとけばいいんだけど、長崎からこう言われるとやっぱりケリを付けたいんだろうな、と思うわけだ。で、長崎自身がやるつもりがあるんならいいよ、って言って、再開した。続きを撮って、途中でラッシュを見たりとか編集の具合をみるんだけれども、バランスが悪いんだよ、映画としてはね。1本の映画としてあまり完成度としては高くない、観た人からもあまり評価を得られないんだろうな、と。それはただ1年という時間を過ごしていただけではなく、事故によって、長崎が“映画”というものを考えちゃった。だから、前に戻って、前と同じ感じ方でやる、というのは無理だったんだね。結果としてはアンバランスになってしまったけど、それをやっていかないと次はない、というのは長崎の中であったんだろうな。その時に、ちょうど文芸座から話があって、ものすごく少ない予算でものを作るっていうのは多分こういうことかな?と作られたのが『闇打つ心臓』。ワンセットで登場人物が3人で、8mm。これならやれる!と思ったんだろうね。1千万で映画を作るということは、本当はそういうことだったんじゃないだろうか、と長崎は思ったんじゃないのかな。少なくとも俺にはそう見えた。

−『闇打つ心臓』の製作には佐々木さんは直接関わってないんですよね?

関わってない。やっていることは知っていたけど。だから出来上がった時にすぐに見せてもらって。文芸座の映写テストのときに観たんじゃないかな?多分。それとも、あれがいきなり上映だったのかな?客があんまりいなかったから(笑)。

−佐々木さんが8mm版を初めて文芸座でご覧になった時はどういう感想をもたれたんでしょうか。

圧倒されたな。こんなことやろうとしてたのか、という。なんだろうね、殺気が伝わってくるじゃないか。それはスタッフもキャストも含めての何かだよな。どうしたんだ、という。本当にびっくりしたし、気に入った。当時はいっぱい自主映画観てたし、そのなかで刺激を受けて覚えているものもいっぱいあるんですが、『闇打つ心臓』はダントツだったかな。

f0087322_17112349.jpg−今回佐々木さんがもう1回『闇打つ心臓』をやろうと言い出したわけですよね。

2、3年前かな。「そんなにお金はかけられないけど、なんか1つやってみないか?」と長崎に話を持ちかけた。「なにがいいんですか?」って聞かれたから「『闇打つ心臓』っていうのはどうなんだ。考えてみて」と。その後はたまに長崎が遊びに来てご飯を食べにいったりするとちょっと話したりして。毎回あまりいい返事しないんだよ。結局1年かかったね。

−なぜ『闇打つ心臓』のリメイクにこだわったんですか?

野次馬だな(笑)。ようするに気に入っていたんだよね、8mm版が。で、考えたら内藤(剛志)も(室井)滋も諏訪(太朗)も、今もまだ現役で。彼らが現役の一線にいるときに、若い無名な俳優でリメイクする、というのが面白いんじゃないかな?と思ったんだね。今の若い俳優だったらどういう風に演じるんだろう、という。その時はいろんなこと考えていたのね。

−8mm版は、最後二人が部屋を出ていくところで終わるじゃないですか。その続きが観てみたい、と佐々木さんがおっしゃったと長崎さんのインタビューで伺いました。

うん、あのラストは秀逸だと思ってる。最後にドアがぱたっと閉じる、というのがね。ドアが閉じて終わる、ていう映画をもうひとつはっきり覚えているのが『ゴッドファーザー』。要するにドアがしまって、人間が消えて、部屋だけ残る、ていうのが秀逸なラストだな、と。だからリメイクするとすればあれからあの二人はどうなったか、という物語を作れないかな、と。

−佐々木さんはこのリレーインタビューの大トリです。企画主旨は23年前の『闇打つ心臓』とは何だったのか、今回の闇打つ心臓は何なんだろう、ということなんですが、佐々木さんの考える『闇打つ心臓』は何だと思いますか?

両方ともすごく答えづらいね。特に後はね。長崎の映画だけではなく、今まで関わって来た監督の作品のすべて分かってないんだよ。一本作ると、その映画がヒットしたどうか、誉められどうかに関わらず、なにかやり残したことがあるような気がするのね。あの映画はこういうことだったんだよ、ということが言えなくて30年続いてる、という。あのとき監督にこういうことを言っておかなきゃいけなかったよな、とか。これは自分の中で一番納得の出来た映画です、というのがまだないし、だからあれはなんだったのか、といわれると非常に困っちゃうんだね。今度の『闇打つ心臓』だってね、小さい規模でやろうとするから、予算も少ないし、最初からこれはレイトショーでやりたい、と思ってたし。その結果がどういうことになるかはずっと分からない。

−出演されている皆さんが23年後にまた続編を撮って欲しいと…。

俺は生きてないからいいけどさ(笑)。今回の長崎のシナリオに、“年輩のプロデューサー”ていう役があったんだよ。全然気が付かないフリをしていたんだけど、いよいよクランクインも決まって、長崎に「お前さ、年輩のプロデューサーってこれ俺のことイメージしてるのか?」て聞いた。そしたら「そうです」と。「うーん、じゃ誰に演じてもらうのがいいかねぇ」て言ったら、せき払いしながら「佐々木さんに」て(笑)。「やっぱりそうかぁ…」って(笑)。

−そんな佐々木さんの名演技が光るこの映画を、誰に一番見てもらいたいですか?

若い人達に、こんな映画があったんだ!ってびっくりされたいと思うね。それってとても幸せなことだよね。いつも言うんだけれども現在形で今俺は映像の芸術をやっているとはとてもじゃないけど思えない。そんなの50年、60年後に決まるだろって。今俺が決めることではない。自分は映像芸術をやってるんだ、っていっている人が気に入らない。芸術やっているわけじゃないだろう、とね。でもなぜかそういうジャンルに属するものばかりやっているのは何故だろうと思うけれども。


ずっと温めている企画がある。SFの短編小説。構想50年。今でも手に届くところにおいてあるそうだ。リメイクしたい映画もある。
佐々木史朗氏の構想は、まだまだつきることはない。きっとまた、新しい『闇打つ心臓』が作られる。それを私たちは心待ちにしたいと思う。

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# by yamiutsu | 2006-04-13 17:12