闇打つ心臓
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伝説的な自主映画としての『闇打つ心臓』。23年経てつくられた『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』。闇打つ心臓とは何なのか?関係者や監督たちに聞いて回る、リレーインタビュー。
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川崎欣也さん、国松達也さんインタビュー(1)
8ミリ版『闇打つ心臓』の撮影助手を担当した、川崎欣也氏と国松達也氏。現在、川崎氏はTBSで、国松氏は東映ビデオで働いている。当時もっとも若いスタッフとして参加した二人にとって、現場はどんなものだったのだろうか?


f0087322_21564882.jpg(国松氏が電車遅延により遅刻。先に川崎氏に話を聞き始めた。)

─まずは、長崎俊一監督との出会いを教えていただけますか?

僕は京都にいたんですが、今はもうないんですけど当時、京一会館というのがあったんですよ。大森一樹がプログラム組んだりとかしてました。そこのオールナイトで長崎さんの作品を見て。ほとんどそこで見てるんですよね。で、学生でそんなのを作れるなんて、すごいな、というか。長崎さんは日芸でしたけど、僕は早稲田でなぜかシネ研入って、武藤(起一)さんが長崎さんと『映子、夜になれ』を撮ったと聞いて。僕も長崎さんとやる事があったら是非手伝いたいなと思ってました。その時にたまたま『闇打つ心臓』を撮るんで手伝ってください、て言われたんですよね。

─まさか早稲田大学に行ってシネ研に入って、長崎監督との縁があるとは思わなかったですか?

思わなった、全然思わなかった。シネ研自体が有名ということも知らなかったし。何故入ったんだろう…。山川直人さんがその頃出てて、ちょっとシネ研も有名だったらしくて、だから長崎さんがシネ研に手伝ってほしい、というのはありますね。山川さんはもう全部(主演が)室井滋さんですから。

─山川さんの作品にはついてなかったんですか?

ついてないです。山川さんと武藤さんが同期で5年生。僕が1年だったとき、5年生って…、卒業してる(笑)。いや、確かに5年だった。間違ってない、4年生じゃなかったから。留年中(笑)。

─当時かなり目立っていたのは長崎監督と石井聰亙監督…ですか?

いっぱいいましたよね。他には誰がいたかな。その前ですよね、大森一樹が『オレンジロード急行』を撮ったのは。最初はやっぱり『オレンジロード(急行)』だったよね。

─『暗くなるまで待てない』と『オレンジロード急行』があって、その後が『夏子と・長いお別れ(ロング・グッバイ)』ですよ。

だから学生が映画撮れるなんて誰も思ってない。助監督をやって映画を撮りたいっていうのもあるけど、助監督は大体採ってなかったですから。映画の道っていうのはすごい遠かったんですよね。

─『闇打つ心臓』はシナリオを作る段階から参加されていたんですか?

うーん、シナリオがどこで出来てたのかよく分からない。状況が良く分かってないから。ワープロとかないので、ガリ版でした。諏訪(敦彦)さんがガリ版で書いて刷って、で、撮って。だから元の台本がいつ書かれたのかは知らないんです。でも、つくりながら刷ってたんですよね、たしか。

─諏訪さんもそう言ってましたね。先日武藤さんにお話を聞いた時に、長崎さんの現場はやっぱり早稲田のシネ研の現場とは違っていた、長崎監督はプロ並みのものを要求して、現場でも粘って演出していたと伺ったんですが、現場の雰囲気とか覚えていらっしゃいますか?

まあ、だって、違いますよ。日芸というのは大学とはいっても映画の専門だから、アマチュア、というか素人ではないですね。早稲田のシネ研というのは素人ですよ。日芸はプロっぽいところありますよね。

f0087322_2201919.jpg─ギャップを感じたり、カルチャーショックを受けたり、というのはありましたか?

(日芸は)やっぱり映画の仕事をやりたい人の集まりだから。(早稲田の)シネ研は映画の仕事じゃないんですよ。映画ごっこというかね。長崎さんのは仕事っぽかった。いや、本気でした。役者と監督がよく話し合ってた感じがしました。まあ、僕はスタッフといってもはしっこで話し合いに参加してなかったからよく分からないけど(笑)。だから長崎監督はそういうタイプなんですよ。この時の心理はどうかっていうような。ただ台本を暗記して演じさせるだけじゃない。

─初めての長崎さんの現場は、川崎さんにとって良かったですか?

良かったですよ。

─何が良かったんですか?

真剣だったから。手伝う方としては、「この映画つまんなくなりそうだな」「監督やる気ないな」っていうのは手伝いたくないわけなんですよ。これ面白そうだとか、一生懸命やってる、となったら何かやってあげたいな、と。そう言う雰囲気がありましたもんね(長崎さんの現場は)。

─出来上がったものはいかがでしたか?

途中で風邪引いて熱が出て、それでも手伝わなきゃいけなくて。夜ほとんど徹夜だったから、照明持ちながら寝ちゃって、ふらっとして(笑)。出来上がっていざ文芸座で上映するぞってなっても、「やっと終わった」って言って寝てた(笑)。何回も見てたから、もう見飽きたっていうのもあるんだけれども。良く分からないんですよ。ちらちら今回の映画に入っているのを見て、「こんな映画だったのか」って(笑)。大体見てるんですよ、未完成の(状態で)は全部見てるというか、ほとんど知ってるんですよ。でも台詞が抽象的だったりするじゃないですか、具体的に言ってないから。この台詞ってこんな意味があったのかとか、今になって(分かる)。映画もリメイクの方が分かりやすいと思う。丁寧に丁寧に描いていて。8mm版はわりと台詞が抽象的なんで、何言っているのか分からないところはあると思う。

─それは長崎さんの変化だと思いますか?

変わりましたよね。もっと詩のような感じでしたよ、8mmのは。台詞の面白さ、ハッキリ言わない面白さが昔の方があった。

─それはいわゆる自主映画と商業映画の違いでもあると。

ああ、そうですね。違いでもありますね。

─例えば(石井聰亙監督の)『爆裂都市 BURST CITY』とかでもそうかもしれませんが、別にギャラないじゃないですか、8mm手伝ってた人達は。でも、風邪でふらふらになってても手伝いに行くわけですよね。その、現場に駆り立てるの力というのは、川崎さんの場合、『闇打つ心臓』でいうと何だったんですか?

映画を作りたかったんですよ。つくりたいというのは、自分が監督するに限らず、いいものを作りたいって。それは何だっていいんです、撮影できれば。映画を作ってるぞという気持ちがありますね。やりがいのようなものはある。

─長崎監督は今回かなり試行錯誤して完成させたそうです。長崎監督がもう一回撮ろうと思ったことについてはどう思われますか?

分からないけど、僕が思うには、昔は撮りたいものを自分で撮っていたんですよ(長崎さんは)。プロになると、長崎さんは何でも撮るから、長崎タッチというのが良く分からなくなる。かなり悩む人ですよね。『九月の冗談クラブバンド』なんかもう、見るからに悩みだらけの映画、ちょっと見ると辛い。考える人ですよね。自分で何を目指しているのかをもう1回確認したいのかな、と。昔こんなにパワーがあって、こんなにやりたいことをやってきたっていうのをもう一回確認したいのではないか、と。

─そういうのはご自分の中にも共感できるものとしてあるのでしょうか?

自分は『闇打つ心臓』を知っているから共感できることがあるけど、観客としてみるといろんなことを考えるんですよ。「人が見たらこれどう思うんだろうな」とか。自己満足でいいのに、人の気持ちまで考えてしまう。「これ意味分からないんじゃないのか」とか「興味持てるのかな」とか、ちょっと心配になっちゃった。

─他人事じゃないんですね。

(笑)。どう思うんでしょうね、『闇打つ心臓』を知らない人が見て、「何をやっているんだろう」と思うんじゃないかな。


他人事とは思えない…。こぼれる笑顔から、『闇打つ心臓』がどれほど若い時期の体験として強烈だったのかを伺い知れた。そこへ国松氏が到着。
次は国松氏を加えて、貴重なエピソード満載のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-17 22:02 | インタビュー