闇打つ心臓
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伝説的な自主映画としての『闇打つ心臓』。23年経てつくられた『闇打つ心臓Heart,beating in the dark』。闇打つ心臓とは何なのか?関係者や監督たちに聞いて回る、リレーインタビュー。
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諏訪太朗さんインタビュー
役者たちから見た、80年代の自主映画界はどうだったのだろうか。
当時から積極的に自主映画に出演し、現在も日本映画の名バイプレイヤーである諏訪太朗氏に話を聞いた。



f0087322_21222988.jpg−まず『闇打つ心臓』(8mm)に参加された経緯を教えて下さい。

経緯もなにも、長崎の映画には内藤と俺は必ず出なければいけないし、出させないとだめだ、という暗黙の了解がありまして。

−当時横の繋がりがあったと伺ってます。諏訪さんはその中で皆さんとどんな関係だったんですか?

僕はね、日芸だと思われているんですけど、全然違いますよ。ある劇団の養成所で内藤と会って、お互いにつまんないな、とか言ってました。で、内藤が「長崎ってやつと映画やってるから、やろうか」と言ってきて、引っ張り込まれました。なので内藤経由で長崎と出会ったんです。その頃は立教に黒沢(清)さん達がいて、石井(聰亙)ちゃんたちは日芸の後輩で、早稲田に山川(直人)さん達がいて。矢崎仁司とかの強硬派は、「他の大学の作品に出るな!」とか言ってました(笑)。そしたら長崎が「そういうことじゃない。黒沢君とか石井君とか山川君とか凄い映画を撮っているんだから、お前達も出演依頼があったらやってくれ」と。僕は内藤とかと「冗談じゃねぇよ」と言ったりしてたんですけど(笑)。まあ、要するに競い合っていたんですよ。

−『闇〜』の撮影はかなり短い期間だったそうですが、お話を聞く方によって記憶がまちまちで、20日間とか一週間とか…。

20日は嘘だろう(笑)。でも分かりますよ、その人たちの時間で言っているんだろうね。俺は1週間ぐらいだと思ってます。

−出来上がって文芸座で上映したとき、諏訪さんは皆さんと一緒にご覧になっているんですか?

見ました。「やったな」と思いましたね。長崎がやりたいものって、規制の映画を解体したいというところがあって。でもその中にドラマがないとつまらないじゃないですか。そのへんの完成度が高い映画だと思いましたね。
そういえば、撮影の武藤(起一)を、『映子、夜になれ』のときに早稲田から借りて来たんですけどね、「内藤さんその足邪魔!」って平気で言うんですよ。「口の聞き方がなってない!」って内藤がむっとしてさ。でも『映子、夜になれ』の画を見たら「武藤はすごい」と。で『闇打つ心臓』のときは「武藤じゃないとやだ!」って内藤が言ったんですよ。

−諏訪さんはもうその頃、お芝居一本で活躍されていたんですか?

いやいやいやいや。バイトしてましたよ。自主映画だから金くれないもん。むしろ持ち出し。衣裳とかみんな自分達で探しに行って買って。新品ですよ。それで血のりでぐちゃぐちゃになるわ、びりびりになるわでもう着られないですよ(笑)。でもそれはそういうもんだと思ってました。

−お金がないながらもやる、ということに駆り立てるものが何かあったのでしょうか。

ありましたね。役者としてやろうとしている人間には、プロの現場なんてまだないわけで、どういう風にしていいか分からない。手っ取り早く映画に近付くために、長崎とやっているのは間違いないだろう、という感じでした。その頃の内藤のパワーはすごかったですよ。遊んでいる暇があったら映画を撮ろう、スキーにディスコに行くんだったら映画を撮ろう、という。だって映画が好きなんだから。それは俺も思っていて。

−情熱的な人たちが学校を超えて横で繋がっていたんですね。

大学がどうかということと関係無しに、本当に情熱のある人たちが意識しあっていたんですね。結局そういう人たちが今もやっているしね。あの頃プロになっていく道って自主映画かピンク映画やるか…。撮影所に入って助監督っていう道はほとんどなかったですね。

f0087322_21202581.jpg−さて、今回の新しい『闇打つ心臓』はいかがでしたか?

やっぱりね、1回見ただけでは、俺は客観的には見られなかった。昔のシーンが入ったり、23年後の伊奈子とリンゴォ、滋と内藤、俺は島本で…。多分もう1回見た時に客観的に見られるのだろうな、と思いました。
逆にいえば、映画を見ながら思い出すことがいっぱいありました。あの頃俺たちが託していたテーマってあるじゃないですか。つまり子供を殺しちゃって逃げ回っている二人がいて、という。8mmの撮影時、ちょうど俺だけ子供がいたんです。子供の事は可愛いんだけれども、でも夜泣きなんかがうるさくて、絞め殺したら一瞬楽になるだろうな、と思う時あるよ、という話を二人にしたことがあるんですよ。内藤も滋も分からないからね。だから今の内藤が、子供を殺して逃げている人=自分が演じた役、を許せないという気持ちが良く分かるんです。

−内藤さんは劇中で“殴りたい”と言って、でも結局殴れず彼らを救うわけですが、“殴れない”ということに対してはどう思われますか?

そう思いますよ。殴るにしたって、救ってあげたくなる。そういうことを何も考えないで生きてきたら、バカなことしてる、で終わっちゃうんだけれども、一瞬でも踏み止まっていたりさ、あるいは劇の中でやっていたりすると、同じようなことを若い人にしてもらいたくなくなるんじゃないかな。

−この作品を撮られた長崎さんに対してどう考えられますか?

うーん、やっぱり長崎はいつも自分の人生と自分の映画に関して問いかけているんですよ。「これでよかったのかな」って。だから『闇打つ心臓』も誕生すべき時期に誕生したと思いました。タイミングなのか時代なのかは分からないけれど。

−内藤さんも室井さんも、当時の若い2人と今回の若い2人、同じシチュエーションでも、当時の方が圧倒的な生命力があったとおっしゃってます。

そりゃそうですよ。結局そういうことだと思うんだ。ある打ち上げで本多君(透役)と一緒になったんですけど、撮影終わってからうまい酒が飲めなかった、て言ってました。長崎さんから自分に対してOKが出なかった、テイクのOK、NGではなく、トータルとしてね。でもある時、長崎から本多君の芝居か何かに対して“良かった”と言われたらしくて。そのときに初めて酒がうまくなったって言ってましたね。あと、長崎、滋、内藤、俺、4人が揃った時、普段は仕事以外で4人で会うことはないんですが、会った瞬間にまるで昨日も会って今日も会ったように普通に喋ってて、何十年という時間の長さを感じさせない、その空気に圧倒されました、とも言ってました。俺達にとってはなんてことないけど、若い人たちから見ると、20何年過ぎていても、ある日突然ぱっと会って、学生時代と同じように喋れる、それが凄いことだ、と。

−それに関して、諏訪さん御自身が、今回の撮影で感じたことはありますか?

俺が出ていたベランダのシーンが良かったと、見た人から言われたんですよ。何でいいのか分からないんだけれども。それで思ったのが、他の役者さんと演じるのと内藤と演じるのは違うな、と。あの役も昔からの友達じゃないですか。そういうのって本人同志は意識してないけれど、やっぱり出るのかな、と。もしかしたら向こうも感じてたのかもしれないね。内藤とは何回か共演することはあったけれど、長崎が演出して、内藤が横にいるっていうのがさ、本当に久しぶりだったんだよ。で、演じると、昔やっていた時と同じ空気が流れている。

−また23年後も『闇打つ心臓』を…。

俺75才か(笑)。まあ生きていれば。そうすると誰かの葬式のシーンから始まるって(笑)。やれたら最高ですよね。年令でいうと滋が一番最後なんですよ。若いし、女って長生きするから、滋がひとりで何かやってくれるんじゃないの?(笑)。俺達の位牌を前にして。

−室井さんも23年後もやりたいっておっしゃってましたよ。

生きてたらやりますよ。史朗さんは90才近いか。長生きしてね、史朗さん(笑)。でもいいですね、やれたら本当にいいですよね。

自主映画時代の話を始めると、次第ににこやかな顔になっていった諏訪太朗氏。彼の青春が、膨大なフィルムたちの中に刻まれているのだろう。

長崎監督から始まった『闇打つ心臓』を検証する為のリレーインタビュー。次回がとうとう最終回。トリをつとめるのは、『闇打つ心臓』(35mm版)を仕掛けた佐々木史朗プロデューサー。オフィスシロウズの代表であり、数々の作品を世に送り出して来た彼が何故、8mm版から23年を経て、改めて『闇打つ心臓』を製作しようと考えたのであろうか。

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by yamiutsu | 2006-03-29 21:26 | インタビュー