闇打つ心臓
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諏訪太朗さんインタビュー
役者たちから見た、80年代の自主映画界はどうだったのだろうか。
当時から積極的に自主映画に出演し、現在も日本映画の名バイプレイヤーである諏訪太朗氏に話を聞いた。



f0087322_21222988.jpg−まず『闇打つ心臓』(8mm)に参加された経緯を教えて下さい。

経緯もなにも、長崎の映画には内藤と俺は必ず出なければいけないし、出させないとだめだ、という暗黙の了解がありまして。

−当時横の繋がりがあったと伺ってます。諏訪さんはその中で皆さんとどんな関係だったんですか?

僕はね、日芸だと思われているんですけど、全然違いますよ。ある劇団の養成所で内藤と会って、お互いにつまんないな、とか言ってました。で、内藤が「長崎ってやつと映画やってるから、やろうか」と言ってきて、引っ張り込まれました。なので内藤経由で長崎と出会ったんです。その頃は立教に黒沢(清)さん達がいて、石井(聰亙)ちゃんたちは日芸の後輩で、早稲田に山川(直人)さん達がいて。矢崎仁司とかの強硬派は、「他の大学の作品に出るな!」とか言ってました(笑)。そしたら長崎が「そういうことじゃない。黒沢君とか石井君とか山川君とか凄い映画を撮っているんだから、お前達も出演依頼があったらやってくれ」と。僕は内藤とかと「冗談じゃねぇよ」と言ったりしてたんですけど(笑)。まあ、要するに競い合っていたんですよ。

−『闇〜』の撮影はかなり短い期間だったそうですが、お話を聞く方によって記憶がまちまちで、20日間とか一週間とか…。

20日は嘘だろう(笑)。でも分かりますよ、その人たちの時間で言っているんだろうね。俺は1週間ぐらいだと思ってます。

−出来上がって文芸座で上映したとき、諏訪さんは皆さんと一緒にご覧になっているんですか?

見ました。「やったな」と思いましたね。長崎がやりたいものって、規制の映画を解体したいというところがあって。でもその中にドラマがないとつまらないじゃないですか。そのへんの完成度が高い映画だと思いましたね。
そういえば、撮影の武藤(起一)を、『映子、夜になれ』のときに早稲田から借りて来たんですけどね、「内藤さんその足邪魔!」って平気で言うんですよ。「口の聞き方がなってない!」って内藤がむっとしてさ。でも『映子、夜になれ』の画を見たら「武藤はすごい」と。で『闇打つ心臓』のときは「武藤じゃないとやだ!」って内藤が言ったんですよ。

−諏訪さんはもうその頃、お芝居一本で活躍されていたんですか?

いやいやいやいや。バイトしてましたよ。自主映画だから金くれないもん。むしろ持ち出し。衣裳とかみんな自分達で探しに行って買って。新品ですよ。それで血のりでぐちゃぐちゃになるわ、びりびりになるわでもう着られないですよ(笑)。でもそれはそういうもんだと思ってました。

−お金がないながらもやる、ということに駆り立てるものが何かあったのでしょうか。

ありましたね。役者としてやろうとしている人間には、プロの現場なんてまだないわけで、どういう風にしていいか分からない。手っ取り早く映画に近付くために、長崎とやっているのは間違いないだろう、という感じでした。その頃の内藤のパワーはすごかったですよ。遊んでいる暇があったら映画を撮ろう、スキーにディスコに行くんだったら映画を撮ろう、という。だって映画が好きなんだから。それは俺も思っていて。

−情熱的な人たちが学校を超えて横で繋がっていたんですね。

大学がどうかということと関係無しに、本当に情熱のある人たちが意識しあっていたんですね。結局そういう人たちが今もやっているしね。あの頃プロになっていく道って自主映画かピンク映画やるか…。撮影所に入って助監督っていう道はほとんどなかったですね。

f0087322_21202581.jpg−さて、今回の新しい『闇打つ心臓』はいかがでしたか?

やっぱりね、1回見ただけでは、俺は客観的には見られなかった。昔のシーンが入ったり、23年後の伊奈子とリンゴォ、滋と内藤、俺は島本で…。多分もう1回見た時に客観的に見られるのだろうな、と思いました。
逆にいえば、映画を見ながら思い出すことがいっぱいありました。あの頃俺たちが託していたテーマってあるじゃないですか。つまり子供を殺しちゃって逃げ回っている二人がいて、という。8mmの撮影時、ちょうど俺だけ子供がいたんです。子供の事は可愛いんだけれども、でも夜泣きなんかがうるさくて、絞め殺したら一瞬楽になるだろうな、と思う時あるよ、という話を二人にしたことがあるんですよ。内藤も滋も分からないからね。だから今の内藤が、子供を殺して逃げている人=自分が演じた役、を許せないという気持ちが良く分かるんです。

−内藤さんは劇中で“殴りたい”と言って、でも結局殴れず彼らを救うわけですが、“殴れない”ということに対してはどう思われますか?

そう思いますよ。殴るにしたって、救ってあげたくなる。そういうことを何も考えないで生きてきたら、バカなことしてる、で終わっちゃうんだけれども、一瞬でも踏み止まっていたりさ、あるいは劇の中でやっていたりすると、同じようなことを若い人にしてもらいたくなくなるんじゃないかな。

−この作品を撮られた長崎さんに対してどう考えられますか?

うーん、やっぱり長崎はいつも自分の人生と自分の映画に関して問いかけているんですよ。「これでよかったのかな」って。だから『闇打つ心臓』も誕生すべき時期に誕生したと思いました。タイミングなのか時代なのかは分からないけれど。

−内藤さんも室井さんも、当時の若い2人と今回の若い2人、同じシチュエーションでも、当時の方が圧倒的な生命力があったとおっしゃってます。

そりゃそうですよ。結局そういうことだと思うんだ。ある打ち上げで本多君(透役)と一緒になったんですけど、撮影終わってからうまい酒が飲めなかった、て言ってました。長崎さんから自分に対してOKが出なかった、テイクのOK、NGではなく、トータルとしてね。でもある時、長崎から本多君の芝居か何かに対して“良かった”と言われたらしくて。そのときに初めて酒がうまくなったって言ってましたね。あと、長崎、滋、内藤、俺、4人が揃った時、普段は仕事以外で4人で会うことはないんですが、会った瞬間にまるで昨日も会って今日も会ったように普通に喋ってて、何十年という時間の長さを感じさせない、その空気に圧倒されました、とも言ってました。俺達にとってはなんてことないけど、若い人たちから見ると、20何年過ぎていても、ある日突然ぱっと会って、学生時代と同じように喋れる、それが凄いことだ、と。

−それに関して、諏訪さん御自身が、今回の撮影で感じたことはありますか?

俺が出ていたベランダのシーンが良かったと、見た人から言われたんですよ。何でいいのか分からないんだけれども。それで思ったのが、他の役者さんと演じるのと内藤と演じるのは違うな、と。あの役も昔からの友達じゃないですか。そういうのって本人同志は意識してないけれど、やっぱり出るのかな、と。もしかしたら向こうも感じてたのかもしれないね。内藤とは何回か共演することはあったけれど、長崎が演出して、内藤が横にいるっていうのがさ、本当に久しぶりだったんだよ。で、演じると、昔やっていた時と同じ空気が流れている。

−また23年後も『闇打つ心臓』を…。

俺75才か(笑)。まあ生きていれば。そうすると誰かの葬式のシーンから始まるって(笑)。やれたら最高ですよね。年令でいうと滋が一番最後なんですよ。若いし、女って長生きするから、滋がひとりで何かやってくれるんじゃないの?(笑)。俺達の位牌を前にして。

−室井さんも23年後もやりたいっておっしゃってましたよ。

生きてたらやりますよ。史朗さんは90才近いか。長生きしてね、史朗さん(笑)。でもいいですね、やれたら本当にいいですよね。

自主映画時代の話を始めると、次第ににこやかな顔になっていった諏訪太朗氏。彼の青春が、膨大なフィルムたちの中に刻まれているのだろう。

長崎監督から始まった『闇打つ心臓』を検証する為のリレーインタビュー。次回がとうとう最終回。トリをつとめるのは、『闇打つ心臓』(35mm版)を仕掛けた佐々木史朗プロデューサー。オフィスシロウズの代表であり、数々の作品を世に送り出して来た彼が何故、8mm版から23年を経て、改めて『闇打つ心臓』を製作しようと考えたのであろうか。

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by yamiutsu | 2006-03-29 21:26 | インタビュー
黒沢清監督インタビュー

長崎監督と共に同世代を走り続けて来た黒沢清。彼から見た“長崎俊一”とはどんな人間なのだろうか。

f0087322_1714849.jpg—大学に入って、他の自主映画を撮られている方々と出会われるわけですが、その中で長崎監督というのはどういう存在だったのでしょうか。

際立っていたと思います。この人8mmで日本映画を“本気”で撮ろうとしている。すごい人だ、と。長崎さんの作品は「ここまで出来るの?」という驚きと、嫉妬と、とうてい自分には出来ないなという感じを受けます。当時の日本映画を軽視していたけれども「変えてやるのだ」と思いながらも行動ができない僕にとって、長崎さんはそれを実現している、別次元の人という感じでしたね。

—具体的にはどの辺が“本気”なんですか?

簡単に言いますと、長崎さんの作品は長尺なんです。当時8mmで1時間を越えるものを作る人はいなかったんじゃないかなぁ。同世代で本気で商業映画を撮っている人がいるんだ、という衝撃がありましたね。あと、映画で本気度を表す分かりやすい要素があって。それは女優のヌード・シーンがあるっていうことですね。自主映画の世界では、それはもう驚くべきことでしたね。

—それは刺激になって、じゃあ自分も本気で撮ってみようか、という影響はありましたか?

それはあったでしょうね。自分は長崎さんと同じ方向の本気ではない、別の方向の本気で撮ろうとしてみたんですけど、ますます誰からも理解されないというものになっていきました。長崎さんは外に向かおうとする、はみだしているとするのであれば、僕は内に内に引きこもっていくという。そういう意味では長崎さんの作品が持ち得ているある力強さとか、もちろん自主映画だから自己満足でいいんですけど、ここまで幅の広い自己満足があるのかっていうのは驚かされました。

—当時自主映画で活躍されていた方がATGでどんどんデビューされていきます。当時の黒沢さんは商業映画デビューということに関してどのように考えていらっしゃったのでしょうか。

長崎さんがATGで『九月の冗談クラブバンド』を撮って、商業デビューされて。既に大森一樹も石井聰亙もデビューしていましたから、次は長崎俊一に決まっているし、それまでの自主映画の人が商業映画を撮りました、というレベルとは全然違ったものになるだろうと思っていました。僕は到底そんな道は進めそうもない。まあ、その後僕もどうにかピンク映画で商業デビューするんですけれども、その時に長谷川和彦さんや相米慎二さんや根岸吉太郎さんといった人たちに「黒沢がデビューするのにピンク映画で大丈夫なのか?」て随分心配されたことがありましたね。ピンクのように職人技が求められるプログラム・ピクチャーじゃなくて、長崎俊一のように堂々と、ATGで作家としてきっちりデビューすべきだ、と。僕はそんな力量ありませんし、僕はもうピンクで十分ありがたいということで。もし長崎さんを意識して、ATGで作家デビューするぞって道を歩んでいたら、今日まで撮れてなかったかもしれないですね。ピンク映画だったから良かった。

—常に長崎さんは気になる存在だったんですか?

気になるというか、もうぜんぜん先を行ってる方。長崎さんの方が僕より一つ若いんですけど、別格な感じですね。僕だけじゃない、当時の8mm映画関係者はみんなそう思うんじゃないんでしょうか。長崎さんは別格。とにかく本気の人。そして、僕たちのはるか前をで進んでいる人。

—昔の『闇打つ心臓』はご覧になってらっしゃいますか?

見てますよ。『闇打つ心臓』でもやっぱり本気を感じました。
これはもう崇高な感じがしたな。当時の僕ら映画って、自分自身と作品で描く世界とに必ず大きな“差”があるんですけれども、長崎さんはこの“差”というものをいつも意識して、それをできる限り埋めようとしている。僕なんかは、まあ自主映画なんだからしょうがないやってあきらめちゃうんですけど。『闇打つ心臓』はとりわけ長崎さん自身と作品とが超高度に密接に作られてる、それでいて決してプライベート映画じゃない、そういう印象がありますね。
きっと長崎さんはいつも“映画”と“社会”と“自分”という力関係みたいなものをとことん考えて作っているんでしょうね。僕なんかは“自分”と“映画”の関係しか考えていない。つまり視野が狭いんです。狂信的、原理主義ってことですね(笑)。
“自分”と“世界”と“映画”のドラマなんて言っても、つまりある種の人間ドラマなんです。そこが長崎さんの凄いところです。難しい理屈をこねるんじゃなくて、結局のところ男と女のドラマとして提示してくる。なんて大人なんだろうと思いましたね。僕なんかがそれをやろうとすると、人間ドラマにするのは面倒臭いので、どうしても別な表現に頼っちゃいます。しかし長崎さんはある二人の登場人物に、「こういう人いるんだ」「こういう人がこういう目にあっているんだ」「こういう問題をかかえているんだ」と自分のドラマなんだけども、きわめて客観的な形式で作っているので驚きました。この力量って学生が作ったものではない。普遍的な広がりといいうか。単なる映画好きだった僕は、当時そんなことを発想することも出来なかった。

f0087322_1723536.jpg—今回新たに『闇打つ心臓』を35mmで完成させたんですが、それをご覧になっていかがでしたか?

いやあ、いよいよ本気だなぁ、真面目だなぁと思いましたね。うわついたところがなくて、まさに“自分”と“世界”と“映画”の関係をますます深く考えたところで作品を撮ってる。
8mmの映像が挟まれることは、昔の『闇打つ心臓』を見たものにとっては、本当に何か時間が逆行していくみたいに感じましたね。ドラマなのに、作られた過去の映像ではなくて、本当に過去の映像で、しかも僕もかつて見ているというのはなかなかない経験ですので、とにかく幻惑されました。

—実は『闇打つ心臓』の8mm版を見て、すごいと思う反面青臭いなと思いまして。でも今ビデオとかで作品を撮ってるものには青臭さを感じないんですけど、あの青臭さってなんなんだったのかな、と思うのですが。

僕が思うに、8mmは音が撮れない。だから素直にまず映像を撮ろうというところから出発しているからだと思います。8mmの人ってまず映像、それはヨーロッパ映画だったりアメリカ映画だったり、その中のあの瞬間が撮りたい、みたいな発想から始まる。それを東京で学生が撮るわけですから、やっぱり無理なんですよ。無理なんですが、なんとかやりたいものだ、出来ないものかと四苦八苦するところに青臭さが出るんだと思いますね。今の方はビデオで同時に音が撮れてしまうし、いっきに60分回すことだってできるので、自然と目の前にいる生々しい人間をそのまま撮るところから始める。多分今ビデオを回している人でアメリカ映画みたいな映像を撮りたい、なんて馬鹿なことを考えている人は誰もいないんじゃないんですか?

—最後に、若い時に撮影したものはどうしても自己満足に終わってしまう、というのがあると思うんです。黒沢さんは観客というものを意識して撮られていますか?

意識、してないですね。映画はまず自己満足です。自分が満足する為に作るというのは大前提です。で、観客のことは、考えないね(笑)。はたして観客とは誰のことを指しているのだろう。所詮、その映画を分かる、おもしろいと言ってくれる人達のことが観客なんです。その人たちに向けて作っている。だから訳分からない、まったくつまらなかったという人に対しては、すみません、って言うしか出来ない。お前のためにつくってんじゃねぇ、が本音ですけど(笑)。いやあ、でもいくつになってこんなこと言ってるから長崎さんに追い着けないんでしょうね・・・。

実は、この他にも興味深い話をたくさん聞いたのだが、文字数の関係で削除せざろうを得なかった。80年代の自主映画のムーブメント、黒沢清自身が何を考え映画を撮り続けているのかなど、詳しくは3月下旬刊行予定の『Alternative Movies in Japan 日本映画のパンク時代 1975-1987』を是非読んで欲しい。

次回は黒沢清作品にも多数出演し、日本映画にはかかせない名バイプレイヤー、諏訪太朗氏にインタビュー!!

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by yamiutsu | 2006-03-23 17:05 | インタビュー
諏訪敦彦監督インタビュー

当時助監督として参加していたのが、現在フランスで新作『UN COUPLE PARFAIT』が公開中(日本では06年公開予定)の諏訪敦彦監督(『2/デュオ』など)。長崎監督の一番近くにいた彼は、長崎監督から何を感じ取ったのであろうか。


f0087322_12492484.jpg─どんな経緯で長崎監督の助監督をすることになったんですか?

まず、東京の「斜眼帯」というグループの自主映画の上映会で、山本政志さんや飯田譲治さんと出会いました。彼らは大変過激な8mmを作って上映するとい うのをやってたんです。僕は客で行ってて、そのとき「僕も8mm撮ってるんですよ」「じゃ、見せろよ」ということで見せたりしてました。山本さんは面白かったですね。彼の関心は劇映画だけじゃなかった。許容範囲が広い。だから僕の個人映画も面白がってくれて、じゃあ、お前カメラやれよと。それが『聖テロリズム』という映画なんです。スタッフとして半年くらい関わりましたけど、カメラマンは途中でおろされました(笑)。僕もぼろぼろになって、もうこの人と二度とやることはないだろうなと思ってたんですが、長崎さんがインするから、お前スタッフで行けと。後から考えたら嬉しかったですね、それは。

─それが『九月の冗談クラブバンド』ですか?

はい。そこで僕は初めて35ミリの助監督をして。で、事故が起きて。この事故以前の長崎さんと、事故以後の長崎さんが随分違うという印象があります。 『九月の〜』の再開前というのは、それまでの長崎さんのやってきたことのヴァージョンアップした集大成を一般映画の中でやろうとしてました。だからとても一千万という額の中ではおさまらないフィクションだったんです。長崎さんもそういう自覚はあったと思いますよ。結果的にたまたま事故になっただけなんだけど、その事故はいったい何だったかを考えようというのが、長崎さんの中にあったと、端から見ていた僕はそう思いましたね。それを一番感じたのが、『闇打つ心臓』でした。長崎さんはあのとき生死を彷徨って、半年はリハビリしているような状況でしたね。長崎さんはそこで映画の外側に生きるとか死ぬとかで人間が直面している様々な現実があるということに、全面的に出会わざるを得なかった。で、自分の『九月の〜』の失敗を反省し、今自分たちに出来る最小限のことをやるという非常にはっきりした割り切りがあった。だから、この8mm版の『闇打つ心臓』は、一日の話で、二人しか人が出ない、そういう非常に限定された状況の中で映画を作ろうと。僕が思ったのは、あ、人が、自分が生きていくために映画を作るということが本当にあるんだと。それまでは、映画に対する思いとか映画に対する気持ちを実現させていくというのがあったと思うんですけど、それは映画の中の問題ですから。だけど、自分が映画を作るっていう行為を、自分が生きるっていう行為と、重ねていくような、自分がやったことに対する反省を、映画を作ることでやってる。だから僕はむしろ、それ以前の長崎さんの映画と決定的に違うものに見えました。自分のやって来たことを自己批評している、非常に真摯な映画だと思いましたね。

─そういう長崎監督の影響は大きかったですか?

やっぱり『闇打つ心臓』の体験は大きかったですね。その当時の状況でいうと、いかに人と違うことやるかとか、自分の世界はこうだというこだわり方をして いた。しかし長崎さんは自分に対して作る。そういうことが現実にあるということは、助監督として今まで経験していませんでした。でも、潜在的な願望としては、生きていくことと映画をもう少し不可分なものにして考えてみたいというのはあったんです。それを目の当たりにした作品が『闇打つ心臓』。この現場に立ち会えたことは、こういう映画が出来るというリアリティをすごく感じて、それがあるからこそ自分でもやってもいいんだと思えた、自分にとってとても重要な作品でした。

─23年後の『闇打つ心臓』はどうでしたか?

68年以降個人主義になるわけじゃないですか。個人という単位、カップルという共同体というものが逆に政治的な単位として描かれている映画。つまり、以前の日本でいうと、政治的なものは政治的なものとしてどこかにあって、そこにお前らは参加するのか逃げていくのか、という問いかけがあって。でも、そういう大きな話じゃなくてね、結局生きてることが全部政治的なことなんだ、だから、彼らが子供を殺したというのは、家族という政治的な枠組みから逃れられない。長崎さんもそういう政治性は全然意識していなかったと思うけど、今から思えば、この二人を描くということの中に、そういうある社会的なものへの抵抗があったような気もする。ただ、同じことをまた今やると、カップルの映画がまとっているはずのそういう政治性みたいなものが脱色されてしまう。というふうにも見えますよね。だからそういう意味では実験なんだよね。映画内的な実験ではなくて、社会学的な実験の側面がありますよね。人生と映画に関する実験というか。

f0087322_1250132.jpg─この作品を撮る意味が長崎さんにあったと思いますか?

意味?うーん。おそらく長崎さんも意味と聞かれたら困るんだろうなと思いますね(笑)。それはすべてにおいて言えるかも知れないけど、生きていることに意味があるのかと問うことと同じように。23年前の映像というのは、23年間という時間によって成立している映像だから、かなわないですよね、そう考えれば。だからそれを使ってしまうとかなり難しいことになるだろうとは思いますが、でも、そのことは映画にしかできないことだし、多分、この作品を撮ることに意味というよりは、関心があったんじゃないかと。今、自分が作れるフィクションと自分が過去作ったフィクションにどういう関係があるのかとか、どういうふうにそれを編集できるのだろうかとか。その間に一緒に時間を生きてきた俳優がいて、彼らとまた今どういう映像を作ることが出来るだろうか、そういうことに対する非常に具体的な問いかけだったと思う。これはふたつのカップルの映像をモンタージュする映画ですよね。そのモンタージュがいったい何だろうかということを問いかける映画だと思います。この映画を見た後でどんな会話がなされたり、どんな言葉が交されたりするのかということが問題なんじゃないのかな、そういう現代性がありますよ。

─フェイクドキュメンタリーのシーンに関してはどう思われましたか?

常に映画の中には、ドキュメンタリーとフィクションは両方混ざっていて、ふたつは不可分だと思います。この映画のドキュメントは、フェイクドキュメントのシーンにあるのではなくて、ふたつの映像がモンタージュされた中にあって、そこでこのふたつの映像を一緒に見るということの中にある。23年間という時間はどういうふうにしたって現実の時間として横たわっているわけですよね。そのことがドキュメンタリーなのであって、作られ方がドキュメンタリーかフィクションかという問題ではなく、このフィルムを編集してつなぐということがドキュメントなんですよ。

─昔の『闇打つ心臓』と現在の『闇打つ心臓』の違いは他に何かお感じなりましたか?

もう一回映画と出会いなおす、という長崎さんのある意志の強さが『闇打つ心臓』の8mm版を成立させていくところがあったんですが、今回はそういう意味 でもっと軽やかですよね。全部映像だから。23年間時間が経っていても映画というのはフッとつないでしまうことが出来る、そういう意味では軽やかだと。 あまりそこに重みを引き受ける感じがなかった。昔の8mmのほうは、ものすごく閉息した空間の中で作っていて。窓の外は見えない。だから、過去も未来も 現在も二人の間にしか起きない、この空間にしかないという描き方をしている。つまり、見えないものが見えてくる。そういう意味では、現代版のほうが、映画のあるリアリズムと無関係ではいられないわけですよね、そこで、内と外というものが、均一な現実性の中に広がってる、そういう意味でこの二人の閉息が ユートピアにはならないと。そこに内藤さんが割って入ってくるわけですが、その内藤さんの殴ろうという気持ちも結局自分に向かっているわけですからね。ただ、この映画が実際にあったということが事実として残る。でも、そういう映画って日本映画の中でなかったと思います。

『フィクション』と『ドキュメンタリー』の境界線。そして『フィクション』と『ドキュメンタリー』の違いを再認識させてくれた、そんなインタビューだった。
次回は長崎監督と同時期に自主映画界で活躍していた黒沢清監督にインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-20 13:08 | インタビュー
川崎欣也さん、国松達也さんインタビュー(2)

前回に引き続き、8ミリ版『闇打つ心臓』の撮影助手だった、川崎欣也氏と国松達也氏に話を聞いた。ほぼ全編を撮影したアパートは、上京したての国松氏の部屋だったとか…。


f0087322_18274287.jpg(電車遅延で遅れていた国松氏が到着)

−まず8mm版『闇打つ心臓』に関わる経緯をお伺いします。

国松達也(以降国松):川崎さん2年でしたよね?僕は1年生で、大学のシネ研に入ったばかりで右も左も分からない感じでしたね。あれは、5月か6月でしたっけ?いや、もっと後か?
川崎:夏でしたっけ?
国松:俺ね、結局東京に出て来て最初に借りたあのアパートに半年も住んでないような…。
川崎:(笑)

−(撮影は)国松さんの部屋なんですよね?

国松:あれで追い出されたから。一年も住んでない記憶がありますよ。
川崎:大家さんに文句言われたの?
国松:大家っていうか、不動産屋と周りの部屋の人に総スカンくらっちゃったから。だって隣の部屋のおじちゃんが包丁持って怒鳴り込んで来たから。当然悪いのはこっちなんだけど。3日ぐらい寝ずに24時間撮影をぶっ続けてみんな倒れる、ぶっ続けてみんな倒れる、それを4回ぐらいしたら終わったっていう感じ。
川崎:短かったですよね。
国松:文芸座がお金出してくれて、公開のスケジュール決まってたんですよね。それで急いだ。

−その大変だった現場というのはどうでした?現場の中で国松さんが一番若い立場だったと思いますが。

国松:夢中でしたからね、当時は。ただ当時の自分には、東京の大学に出て来て、はっきりと“映画”というビジョンはあったんです。大学の授業を決める前に、自分の学部の説明会に行く前に、映画サークル探して自然にシネ研に入ったりしてた人間なんで。だから、(『闇〜』の撮影の)までに長崎さんの映画も見てました。

−それは地元で御覧になったんですか?

国松:いやいや俺九州なんで、そういう上映会はなかったです。東京出て来てから見たんです。シネ研の情報として上映会があって。『ユキがロックを棄てた日』とか見てたと思いますよ。なんとなく当時の雰囲気は日芸グループと早稲田のシネ研グループと黒沢清さんの立教グループって感じだったんで、よく横の交流してたんですよね。その中で自然に先輩から長崎俊一さんが8mm映画をまた撮る、と聞いて。ATGの『九月の冗談クラブバンド』のことも噂に出てたんで、どうしてまた8mm撮るのかなと思いました。事故のことは後から知ったんですけれども。で、アパートが舞台のドラマで、ロケ場所を探している、と。本当に上京してきたばかりで荷物も少なかったので、なんか先輩と飲んでる時に、お前のアパートで、という話になった記憶がありますね。

−じゃあ、アパートありきで、というところがあったんですね。

国松:そうですね、僕の場合は。で、そのまま手伝ってくれってことで。

−そういう状況だと、ほとんどプライベートの時間というのはないですよね。

国松:でもまあ、短かったですよ。20日あるかないかでぐわっと撮ったんで。

−当時、出来上がった作品をご覧になった時はいかがでしたか?

国松:撮ってる時からすべて見ているわけですから。文芸座地下でしたよね?
川崎:地下だったっけ?上だったっけ?忘れちゃった。

f0087322_18283062.jpg−またやりたいな、というところも…。

国松:あー、あれ程の体力はないですね(笑)。川崎さんは撮影中に前のめりに倒れていたのを憶えてますが(笑)。
川崎:寝てたっていうより、気絶してた(笑)。
国松:なんか照明を持ったままそのまま倒れていって、動かなくなって。みんなしょうがないから、毛布かなんかを掛けて撮影していたっていう。
川崎:あ、そうだっけ?寝てたから憶えてないよ。風邪引いちゃってたから。
国松:途中途中で応援する人間も、一回応援に来てくれたらもう3日ぐらい帰さないから。ぶっ続けでやってるもんで。だからみんな二度と来ないんだけれども、僕らはずっとつき合ってました。みんな帰る体力もなくて、その場で寝てたって言うのもありましたね。その場で銭湯行って。
川崎:国松さん、ちゃんと見ました?出来上がったのを文芸座でやった時。
国松:見ましたよ、ちゃんと。
川崎:僕、寝てたんですよ。
国松:え、寝てたんですか?(笑)俺は見たし、その後の打ち上げに行ったのも憶えてますね。
川崎:打ち上げ行って酔っぱらって…。
国松:で、また寝たの?(笑)
川崎:いやいやいやいや。
国松:夜遅くまで矢崎(仁司)さんとかと飲んでたのを憶えてますよ。あと憶えているのは、内藤さんがNHKの名古屋か大阪のオーディションに行くんですよね。大きい役のオーディションで。最終(電車)で行って一日抜ける、っていう。それで戻ってくるのが俺の部屋、というのも何か変なんだけれども(笑)。戻ってくる前にNHKから電話が僕の部屋にかかってきて、事務所じゃないって(笑)。「やっていただくことに決まりました。本人にお伝え下さい」て、マネージャーじゃないって(笑)。

−今回の新しい『闇打つ心臓』を御覧になって、いかがでしたか?

国松:幸せな映画だな、と思いましたね。

−それはどういう意味でですか?

国松:25年ですか?23年?23年目に続編ができるなんて、こんな幸せな話ないじゃないですか。すごい面白かった。

−関わったことなどを思い出されましたか?

国松:いや、冷静に見られました。当時の映像が出てくると色々思い出しましたけどね。
川崎:部屋が出てくるんだもんね(笑)
国松:昔のリンゴォと伊奈子でしょ?現在のリンゴォと伊奈子でしょ?なんか昔の彼女のこと思い出したりして、て関係ないけど(笑)。

−長崎さんについてはどんな風に思いますか?

国松:後半出てくる海の撮影がすっごいきれいで、海岸を後ろから車が走ってくるのを夕景でよくおさえていて、いい条件でやってるなと思いました。リンゴォと伊奈子の澄んだ魂が海に永遠に溶けていくみたいな。ランボーみたいなこと言ってますけど(笑)。だいぶ前にこれをやるって話を本多(章一)さんのマネージャーから聞いてたんですよ。でもどういう風に作るんだろうって。

−気になる映画ではありましたか?

国松:そうですね。

−期待もありましたか?

国松:うーん。どうすんのかな、っていう心配というのはありましたけど…。でも見事にまとまってて。若い二人も頑張ってたじゃないですか。前半見てた時、こりゃ完全に負けちゃうな、って思ってたんですよ。同じ話を若い2人がやってるわけだから。説得力違いましたよね。そういうことしないと内藤さん室井さんに勝てないのかな、とも思いましたよ。


笑顔の彼らが思い出すことは、当時の若さや熱気そのもののようだ。インタビュー後、両氏は楽しそうに話しながら一緒に帰って行った。
次は、当時8ミリ版で助監督をした諏訪敦彦監督にインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-18 18:33 | インタビュー
川崎欣也さん、国松達也さんインタビュー(1)
8ミリ版『闇打つ心臓』の撮影助手を担当した、川崎欣也氏と国松達也氏。現在、川崎氏はTBSで、国松氏は東映ビデオで働いている。当時もっとも若いスタッフとして参加した二人にとって、現場はどんなものだったのだろうか?


f0087322_21564882.jpg(国松氏が電車遅延により遅刻。先に川崎氏に話を聞き始めた。)

─まずは、長崎俊一監督との出会いを教えていただけますか?

僕は京都にいたんですが、今はもうないんですけど当時、京一会館というのがあったんですよ。大森一樹がプログラム組んだりとかしてました。そこのオールナイトで長崎さんの作品を見て。ほとんどそこで見てるんですよね。で、学生でそんなのを作れるなんて、すごいな、というか。長崎さんは日芸でしたけど、僕は早稲田でなぜかシネ研入って、武藤(起一)さんが長崎さんと『映子、夜になれ』を撮ったと聞いて。僕も長崎さんとやる事があったら是非手伝いたいなと思ってました。その時にたまたま『闇打つ心臓』を撮るんで手伝ってください、て言われたんですよね。

─まさか早稲田大学に行ってシネ研に入って、長崎監督との縁があるとは思わなかったですか?

思わなった、全然思わなかった。シネ研自体が有名ということも知らなかったし。何故入ったんだろう…。山川直人さんがその頃出てて、ちょっとシネ研も有名だったらしくて、だから長崎さんがシネ研に手伝ってほしい、というのはありますね。山川さんはもう全部(主演が)室井滋さんですから。

─山川さんの作品にはついてなかったんですか?

ついてないです。山川さんと武藤さんが同期で5年生。僕が1年だったとき、5年生って…、卒業してる(笑)。いや、確かに5年だった。間違ってない、4年生じゃなかったから。留年中(笑)。

─当時かなり目立っていたのは長崎監督と石井聰亙監督…ですか?

いっぱいいましたよね。他には誰がいたかな。その前ですよね、大森一樹が『オレンジロード急行』を撮ったのは。最初はやっぱり『オレンジロード(急行)』だったよね。

─『暗くなるまで待てない』と『オレンジロード急行』があって、その後が『夏子と・長いお別れ(ロング・グッバイ)』ですよ。

だから学生が映画撮れるなんて誰も思ってない。助監督をやって映画を撮りたいっていうのもあるけど、助監督は大体採ってなかったですから。映画の道っていうのはすごい遠かったんですよね。

─『闇打つ心臓』はシナリオを作る段階から参加されていたんですか?

うーん、シナリオがどこで出来てたのかよく分からない。状況が良く分かってないから。ワープロとかないので、ガリ版でした。諏訪(敦彦)さんがガリ版で書いて刷って、で、撮って。だから元の台本がいつ書かれたのかは知らないんです。でも、つくりながら刷ってたんですよね、たしか。

─諏訪さんもそう言ってましたね。先日武藤さんにお話を聞いた時に、長崎さんの現場はやっぱり早稲田のシネ研の現場とは違っていた、長崎監督はプロ並みのものを要求して、現場でも粘って演出していたと伺ったんですが、現場の雰囲気とか覚えていらっしゃいますか?

まあ、だって、違いますよ。日芸というのは大学とはいっても映画の専門だから、アマチュア、というか素人ではないですね。早稲田のシネ研というのは素人ですよ。日芸はプロっぽいところありますよね。

f0087322_2201919.jpg─ギャップを感じたり、カルチャーショックを受けたり、というのはありましたか?

(日芸は)やっぱり映画の仕事をやりたい人の集まりだから。(早稲田の)シネ研は映画の仕事じゃないんですよ。映画ごっこというかね。長崎さんのは仕事っぽかった。いや、本気でした。役者と監督がよく話し合ってた感じがしました。まあ、僕はスタッフといってもはしっこで話し合いに参加してなかったからよく分からないけど(笑)。だから長崎監督はそういうタイプなんですよ。この時の心理はどうかっていうような。ただ台本を暗記して演じさせるだけじゃない。

─初めての長崎さんの現場は、川崎さんにとって良かったですか?

良かったですよ。

─何が良かったんですか?

真剣だったから。手伝う方としては、「この映画つまんなくなりそうだな」「監督やる気ないな」っていうのは手伝いたくないわけなんですよ。これ面白そうだとか、一生懸命やってる、となったら何かやってあげたいな、と。そう言う雰囲気がありましたもんね(長崎さんの現場は)。

─出来上がったものはいかがでしたか?

途中で風邪引いて熱が出て、それでも手伝わなきゃいけなくて。夜ほとんど徹夜だったから、照明持ちながら寝ちゃって、ふらっとして(笑)。出来上がっていざ文芸座で上映するぞってなっても、「やっと終わった」って言って寝てた(笑)。何回も見てたから、もう見飽きたっていうのもあるんだけれども。良く分からないんですよ。ちらちら今回の映画に入っているのを見て、「こんな映画だったのか」って(笑)。大体見てるんですよ、未完成の(状態で)は全部見てるというか、ほとんど知ってるんですよ。でも台詞が抽象的だったりするじゃないですか、具体的に言ってないから。この台詞ってこんな意味があったのかとか、今になって(分かる)。映画もリメイクの方が分かりやすいと思う。丁寧に丁寧に描いていて。8mm版はわりと台詞が抽象的なんで、何言っているのか分からないところはあると思う。

─それは長崎さんの変化だと思いますか?

変わりましたよね。もっと詩のような感じでしたよ、8mmのは。台詞の面白さ、ハッキリ言わない面白さが昔の方があった。

─それはいわゆる自主映画と商業映画の違いでもあると。

ああ、そうですね。違いでもありますね。

─例えば(石井聰亙監督の)『爆裂都市 BURST CITY』とかでもそうかもしれませんが、別にギャラないじゃないですか、8mm手伝ってた人達は。でも、風邪でふらふらになってても手伝いに行くわけですよね。その、現場に駆り立てるの力というのは、川崎さんの場合、『闇打つ心臓』でいうと何だったんですか?

映画を作りたかったんですよ。つくりたいというのは、自分が監督するに限らず、いいものを作りたいって。それは何だっていいんです、撮影できれば。映画を作ってるぞという気持ちがありますね。やりがいのようなものはある。

─長崎監督は今回かなり試行錯誤して完成させたそうです。長崎監督がもう一回撮ろうと思ったことについてはどう思われますか?

分からないけど、僕が思うには、昔は撮りたいものを自分で撮っていたんですよ(長崎さんは)。プロになると、長崎さんは何でも撮るから、長崎タッチというのが良く分からなくなる。かなり悩む人ですよね。『九月の冗談クラブバンド』なんかもう、見るからに悩みだらけの映画、ちょっと見ると辛い。考える人ですよね。自分で何を目指しているのかをもう1回確認したいのかな、と。昔こんなにパワーがあって、こんなにやりたいことをやってきたっていうのをもう一回確認したいのではないか、と。

─そういうのはご自分の中にも共感できるものとしてあるのでしょうか?

自分は『闇打つ心臓』を知っているから共感できることがあるけど、観客としてみるといろんなことを考えるんですよ。「人が見たらこれどう思うんだろうな」とか。自己満足でいいのに、人の気持ちまで考えてしまう。「これ意味分からないんじゃないのか」とか「興味持てるのかな」とか、ちょっと心配になっちゃった。

─他人事じゃないんですね。

(笑)。どう思うんでしょうね、『闇打つ心臓』を知らない人が見て、「何をやっているんだろう」と思うんじゃないかな。


他人事とは思えない…。こぼれる笑顔から、『闇打つ心臓』がどれほど若い時期の体験として強烈だったのかを伺い知れた。そこへ国松氏が到着。
次は国松氏を加えて、貴重なエピソード満載のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-17 22:02 | インタビュー
武藤起一さんインタビュー
23年前、いったい彼らは何を考え『闇打つ心臓』に参加したのか。
今回は、『闇打つ心臓』(8mm版)でカメラを担当した武藤起一氏に話を聞いた。



f0087322_12271281.jpg−まずは長崎監督との出会いから。武藤さんは当時早稲田大学のシネ研(シネマ研究会)にいらして、どうやって接点をもたれたんですか?

シネ研はその時8mm、日芸は16mmで自主映画を撮っていたわけだけど、長崎が日芸在学中に撮った『ユキがロックを棄てた夏』を見て、こいつはすごい才能だな、と思っていた。確か79年に、今度は8 mmで撮ろうってことでカメラマンを探していた。当時自分はカメラには定評があって(笑)、シネ研に話が来て、俺は是非やりたい、と。それが『映子、夜になれ』という作品になりました。
やっぱりその頃は、PFFが始まって“新しい映画の才能は自主映画から出てくるんだ”という時代の空気を感じていたしね。まあ映画の人間ってみんなでスクラム組んで、というよりはそれぞれが好きにやってたんだけど、ある程度ヨコのつながりはありましたね。

−『闇打つ心臓』は長崎さんがすでにプロデビューした後の作品ですよね。

長崎が『九月の冗談クラブバンド』を撮って事故に遭って、それが完成した後に(『闇打つ心臓』の企画が)出たんじゃないかな。文芸坐がお金を出すから8mmで撮らないか、っていう話で。(35mmの)本編とは全然違うんで、少人数でチョロっとやろうってことでまた声がかかって。その頃は僕も仕事をしてたんで、週末を縫って参加しました。

−撮影期間は正味どのくらい?

4〜5日だったんじゃないかなあ。ほとんど徹夜で、死ぬ思いでした。寒かったし。

−長崎さんとはこれが2本目だったということで、ある程度調子はつかめていたんですか。

1本目の時に大体分かりましたね。なんて人非人なんだって(笑)。
僕らは早稲田であくまでもサークルとして映画を撮っていて、プロになろうとしていたわけじゃない。ところが長崎は、8mmであっても徹底したやり方で、最初は「いつになったら昼飯が食えるんだ!?」「なぜここまでやんなきゃいけないのか」って思いながらカメラ回していました。結局「プロを目指す人はこうなんだ」という衝撃を受けたし、影響もされた。
その後、自分がシネ研で監督した時は、周りのやつらを相当酷使して恨まれたね(笑)。

−シネ研とは違う雰囲気の中で、監督と、周りのスタッフとの距離感はどうだったんですか。

『闇』のスタッフはほとんどが8mmの、というか僕がシネ研の後輩に声かけてかき集めてきた。助監督は、山本政志の助監督をやってた諏訪敦彦を長崎が呼んだと思います。諏訪もその後りっぱな監督になりましたねえ。彼が監督して作る映画はかなり不器用な感じだけど、助監督としてはよく動いてとても器用でした(笑)。
現場は、長崎はほとんど喋らないし、コワモテだし(笑)、どうしたって和気あいあいって感じにはならない。監督は、余計なことに神経を使わず、監督に徹する。そこが要するに「プロ」なんだなーと。

−『闇』に参加したことが、その後の人生に影響を与えたことってありますか。

さっきも言った通り、妥協を許さない、そういう映画作りの姿勢には影響を受けました。
だから自分に才能あるか分からないけど、自分もいちおう監督目指してやっていたので、とりあえずやれるところまでやろう、と思った。
だんだん、自分にどういう才能があるのかわかってきて、必ずしも監督じゃなくてもいいのかな、とは思い始めたけど。例えば、シネ研の同期に山川直人がいて、こいつにはかなわないな、って思いましたし。
監督っていうのは「人に評価される」部分がなければやっても意味がないだろう、と。
カメラはよく誉められたんで、カメラマンになればって言われたりもしたけど、そっちの道はピンとこなかったね。ああいう職人の世界は自分にはしっくりこないな、というか。かといって監督ではない、というところでぐちゃぐちゃやっていましたね。

−当時、完成した作品をみてどう思いましたか。

スタッフってどうしても自分のやったパートを見ちゃうから。映像はともかく、同録の音がひどかったね。8mmだと整音もできないし。ただ当時は、8mmでやるってことは、技術的に稚拙であっても、表現の部分で素晴らしければ観客が受け入れてくれる土壌はあったんです。
でも、この作品がこんなに一人歩きをするとはぜんぜん思っていなくて。
『闇打つ心臓』が海外で売れたって聞いたときは「そりゃよかった」って。でも、そんなに大層な映画だとか、後々まで残る、なんてことはまったく意識して作っていないですよね。

−監督もおそらく同じ気持ちだったんでしょうね。

まさに一人歩きしちゃったんだろうなあ。
参加していた自分が思うに、当時は、この映画をどこまで理解していたのか不明ですね。例えば、男と女が入れ替わったりとか、突然関係ないシーンがでてくる、ああいう演出上の意図はちゃんと理解していなかったはず。一応シナリオには書いてあったと思うけどね。
ホントわかんないですよ、どういう映画なのか。海外ではどういう部分が評価されたんだろう、とか(笑)。ほんま客観的に見れないわー。

f0087322_1228423.jpg2006年の『闇打つ心臓』を見ていかがでしたか?

思ったより当時の映像使っているな〜と。自分の撮った映像がちょろちょろ出てくるし、イヤー恥ずかしいわ〜、というかやはり客観的には見れないですね。
ただ、23年前の映画をまったく踏まえていない今の観客にとって、この映画ってどう受け止められるかというと、自然に理解するのは難しいと思います。今みたいに、映画ってちゃんと分かり易くないといけないよ、という時代に、ある意味難解な映画、ですよね。こういうものを作っちゃった佐々木史朗プロデューサーの思い、というか決断には驚かされますね。
誰にでも受け入れられる映画では絶対にない。それは23年前のときもそうだったと思う。
史朗さんは、今の日本映画の状況も分かった上で、ひとつの冒険だと知りつつやられているんだろうなと思うと“すごいなー”と、自分も一プロデューサーとして思います。誰も彼もがわかってくれなくていい、という映画がこの時代に提示されている意味というかね。

−8mm版と今のと、見比べていかがですか。

ベースは変わっていないですね。
もちろん、年月を経て、若いカップルが登場したりとかいくつかの視点は加わってますが、やはり一人の作家の世界というのか、長崎俊一の非常に硬派な部分は変わっていないなあ。
長崎は観客におもねる作り方は絶対にできないと思うんです。そういう彼に合った映画作りって、なかなか今の時代難しいのかなあ、なんて。だから彼の持ち味を生かしてここまでストイックに硬派にやったっていう潔さを感じる。
現在の日本映画を見渡して、低予算で作るんなら、万人には受け入れられないかもしれないけれど“こんなの見たことない!”ってぐらい刺激の強いものがもっとあっていい。そういうことを目指した方が面白いなと思う。

−佐々木史朗プロデューサーの長年の思いと、監督の才能との、ガチンコ勝負が映画になった、という感じでしょうか。

確かに、映画は人の思いに引っ張られている。でもその思いは、分かる人にしかわからない。それでも、見て何かを感じる人がいてくれれば、それでいいんじゃないかなー。


自身も現在「ニューシネマワークショップ」を運営し、若手・新人作家の発掘を手がけている武藤氏の、“プロデューサーからの視点”が面白かった。

次回は『闇打つ心臓』で武藤氏の下で撮影助手をした、川崎欣也氏、国松達也氏のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-15 12:30 | インタビュー
室井滋さんインタビュー
昔の『闇打つ心臓』のフィルムに映った伊奈子役 室井滋は、愛らしさと生意気さが同居した、誰もがハッとするほどの魅力を放っていた。そして23年後の今、彼女は依然強い輝きで私たちを惹き付けている。それはいったいどこから来るものなのだろう。


f0087322_1141330.jpg─ラストシーンのセリフを聞いて、伊奈子は「忘れない女」なのかなあと思いました。過去をそのまま現在にもってこれるというか。リンゴォの日常の中に突然ポンっと現れて、一瞬で23年の空白を埋めたりできる、そういう体質なのかなあ、と。

それは多分、あなたがまだお若いから(笑)。伊奈子だからそう、ていうんじゃなくて、昔つきあってた男性と会って、15分くらい喋っていたら、戻りますよ。30分くらい喋ったら「あそこが好きで、こういうところが大っ嫌いだったんだ」って(笑)。しかも伊奈子とリンゴォは結婚してたこともあるし、ある意味共犯者というか特別な関係だったわけだから。
再会して「久しぶり」「変わらないね」なんていう会話から始まって、部屋にあがるのかあがらないのか、お酒を飲んでしまったら一緒だと思うけれど、ああいう距離の詰め方はすごく巧みに描かれていると思います。

─ある時期とても濃密な時間を過ごした人たちにとっては、関係性を戻すのもあっという間なんですね。室井さんと今回のスタッフ・キャストの方々との関係性もそれに近いものがあったんですか?

当時私は早稲田のシネ研にいたんですけど、長崎さんたちはもうすでに「九月の冗談クラブバンド」を撮っていて、プロの現場を経験した後だった。私たちは、現役で8ミリを撮っていて、だから長崎さんたちとはある意味、大人と子供くらいの開きはあったんじゃないかな。だから監督と内藤さん諏訪さんの関係とは少し違いますね。そういう状況があって、いま23年後に再会したといっても、当時のスタッフは一人も入っていないわけだし、今回の撮影にそういった関係性はちょっと当てはまらないかな、と思います。

─内藤さんは今回の作品を、23年前の映画とは関係なく、まったく初めての作品、という意識でやったとおっしゃっていましたが、室井さんはいかがでしたか?

長崎さんって憧れの監督で、自主映画をやっていた頃、長崎さんと石井聰亙さんっていうのは一番成功していた人たちで、そういう人の作品に出させてもらえる、というのがすごく嬉しかった。私の正式な映画デビューは81年の『風の歌を聴け』なんだけれども、男女のことをちゃんと描いた作品って『闇打つ心臓』が初めてで。当時はラジカルな感じの作品が多かったので、細やかな感情の表現を、ちゃんとお芝居した、という経験は実はこれが初めてだったという気がする。デビュー作とは別に、気持ち的には自分の処女作、といってもいい。そういった意味で忘れられないというか、今回リメイクの話をきいてすごく嬉しかったですし、23年前の『闇打つ心臓』は常に頭の中に置いて演じたつもりです。

─個人的に、再会した2人のラブシーンがすごく良かった、という印象をもっているのですが。

若いカップルのラブシーンと、中年カップルのラブシーンとはまた違っていなくてはいけないでしょう。特に私たちは歳くった分、「そりゃあ見たくないよ」とかいわれないようにしなきゃいけないな、と。体重はどのくらいにしとかなきゃいけないか、とか、完璧に女じゃなくなっているのはまずいな、とか思うじゃないですか。この「どのくらいかな?」という微妙な程合いが大事だった。どのくらいだとエグくて見たくなくなっちゃうか。どこを見せてどこを隠すのか。それは年の功ってことで(笑)。

─伊奈子は、自分では意識していなくても、相手の気を引くようなことを絶妙なタイミングで言いますよね。ああいう人が近くにいたら、困らされちゃうだろうな、と。

あの2人があの晩どうなるか、というスレスレのところは、「絶対ないよね」って思われると映画の力が萎えちゃうから。その辺は私たちも暗黙の了解でやっていました。
若いカップルよりも私たちの方が「駆け引きがある」っていう風にお客さんには見えると。そういうスリリングさがあるから、経験を積んだお客さんの中には、自分に引き寄せて泣いちゃったり、っていうことがあるんだと思う。

f0087322_11414724.jpg─伊奈子は役として“そそのかす体質”だと思うのですが、他の作品も見ていると、そういうフェロモンみたいなのって室井さんの持ち味なのかな?とも感じます。

色々なタイプの役をやらせてもらって、根性入った役も悲しい役も寂しい役もいろいろやっているから、そう思ってもらえるのかな?あんまり実生活には役に立っていないけど。実際、男性よりも女性のファンが多いのも、女性の方がそういう微妙な心理状態に敏感だからで、男の人が同じように思ってくれるかはわからない。
フェロモンと言われると…、若い頃はすっごい痴漢に襲われたもんですが、今は猫しか寄ってこないし(笑)。

─いや、男性も確実にそれを感じ取っていると思いますね。例えば内藤さんだったり、長崎監督も。

長崎さんとの相性は、私は勝手に“いい”と思っていまして。「最期のドライブ」というテレビの仕事を一緒にやったときに、演出についてすごく微妙なことを言われているのに、すごく分かりやすい。すっと入ってくるんですね。長崎さんが自然だと思うこと、要求することが、「ああ、私もそうしたいと思っていたんだ」っていう風に。
地方ロケの時なんかは、役にハマると自分との境がなくなってきて。事務所の社長が私の電話の声を聞いて「人が違っていたようで、おかしい」と不安になって様子を見に駆けつけた、なんてこともあったし。撮影期間が長くなれば長くなるほど、自分が自分でいられる自信がない、そういう、催眠術師のような監督です。役者として夢中になれる、とう意味でちょっとスペシャルな=相性がいい監督だと思っています。内藤さんは、俳優さんの中でもちょっと違う存在。自主映画のお兄さん俳優、というより遠い親戚のお兄さん、みたいな(笑)。

─内藤さんが、この映画は理解しようとするんじゃなくて、ただ感じてほしい、とおっしゃってました。

確かに、構造としては少し複雑な部分はあるけれど、そこが分かった上で、楽しんで欲しいですね。今まで試写で見てくれた同年代の女性や、昔からの知り合いが泣いていたり、逆にバンクーバー映画祭では笑ってたり、とか、みんな自分の中にあるなにかしらの感情を重ね合わせて見ているみたい。
若い人でも少なくとも2度恋愛経験があれば、別れた人がいるわけでしょう。あの人今なにしてるのかな、とか、自分の中のなにかを掘り起こしてみたくなるような、そういう部分を刺激する映画ではあると思います。


話しながらくるくると表情を変える彼女はとても可愛らしく、どんな言葉よりも女優・室井滋の魅力を語っていた。

次は、当時8ミリ版で撮影を担当し、現在はNCW主宰の武藤起一氏のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-14 11:45 | インタビュー
内藤剛志さんインタビュー
1982年の『闇打つ心臓』で、内藤剛志氏は荒々しい主人公リンゴォを演じた。当時まだ20代だった内藤氏は、いよいよ俳優として本格的に仕事をし始めた頃だった。あれから23年。再びリンゴォとして『闇打つ心臓』に主演した内藤氏に、現在の心境を聞いた。


f0087322_12242265.jpg─突然ですが、今回の『闇打つ心臓』、どんなふうに見て欲しいと思われますか?

映画を見て、「こんな話だったよ」とストーリーを語る人がいますよね。でも決して、ストーリーを語れることが、すなわち映画を見たことにはならないでしょう。もし感想を聞かれて、「うまく言えないから、あなたも見てきてよ」という言い方をしたら、それが一番いい宣伝方法かもしれないよね。ストーリーを伝えるだけなら、セリフを朗読してもいい。ストーリー以外のことをなんとか伝えたいと思うから、僕ら俳優っていう存在がいる。どんな服を着て、どんな風に動いてっていう。見ることも聴くことも触れることもできない、ある気持ちっていうものを観客に提出するための、ありとあらゆる方法を僕らはやっていくわけだから。無理に理解しようと努めるのではなく、ただ2時間体験してほしいですね。

─映画の冒頭で「俳優・内藤剛志」と「女優・室井滋」が出てきますよね。ここで観客はもう混乱してしまうのです。素の俳優によるドキュメンタリーを撮っているんじゃないか、とか。

すべて台本に書かれています。でも、ドキュメンタリーと思って見てくれても全然構わない。僕は、カメラがあってそこに自分がいれば、すでに演じているんだろうと思います。結婚式のスピーチとかでもそう。誰かに見られている、カメラに記録される、そう意識した時点で演じている。逆に、誰も観客のいないところで演じることは不可能じゃないでしょうか。

─「俳優・内藤」として昔の自分を「殴りたい」というシーンがありますが、「殴る・殴らない」ということはこの映画においてどんな意味があるんでしょうか?

なんで殴りたいんでしょうかね(笑)。あれは、「殴りたいんだ俺は(内藤)」って台本に書いてあったから。でも、罰したいんでしょうね、きっと。あるいは、リメイクされるこの映画に参加するための切符として言い出したのかもしれない。「殴りたいんだ」って言えばとりあえず参加はできる。室井も「救ってあげたい」なんて適当なこと言って(笑)。少なくともテーマではないと僕は思います。ただ、長崎とは19歳くらいの時に初めて一緒に映画を作って、これまで何度も仕事をしてきましたが、一度も映画のテーマについて話したことがないんです。役柄のディテールに関してはオーダーがありますよ。こういう服を着て、こういう動きをしてっていう。でも「こいつはこういうヤツだから」なんていう話はしない。

─それは長崎監督との間でのみ成立することなんですか?

他の監督のときでも、あんまりそういう話はしないですね。「この役はこうだからこうしてああして」なんて言葉ですべて説明できるなら、監督自分でやってください、という。正解がお互いに分からないから、実際にやってみるしかない。「俺はこう思う。違ったら言ってくれ」という風に。ひとつのセリフを表現するのに1000通りくらいの演じ方があるとしたら、そのどれなのかはやってみないとわからない。リンゴォという役が台本に書かれているけれど、そこに答えがあるのではなく、答えを出すために自分はこの役をやっているんですね。やりながら、リンゴォは伊奈子を、伊奈子はリンゴォをどう思っているんだろう、と常に考えている。考えることが演じることだと僕は思っています。

f0087322_1225484.jpg─今回のスタッフ・キャストには、オリジナル8ミリ版の『闇打つ心臓』と関わっていない人も多いと思いますが、映画を見ているとどうしても「23年前の映画に落とし前をつけたいのだ」という風にみえます。

あれはフェイク。過去を変えられるのか、ということのフェイクとしてやっている。お客さんも、23年前の映画があった、という前提で見る人は少ないんじゃないでしょうか。あの映画が本当にあったのかどうかもわからないし。もしかしたら嘘かもしれない。僕は、23年前にこういう映画があった、という前提ではやっていない。全く新しい映画と思っているから、スタッフもキャストも全員初めてのメンバーだ、という気持ち。今回の映画の構造は複雑でしょう?その構造を楽しんでもらいたい、ということと、構造を一切忘れて見て欲しい、というものすごい矛盾したお願いです。

─映画が終わっても、まだ物語は続いているという感じがしますよね。例えば、あの2人はまた何年か後に再会するだろう、とか、ひょっとして2人はもうすでに死んでいるんじゃないか、とか。

ああ、それは面白いですね、そういう見方は大歓迎です。別に正解というのではなく、そういう見方もできるよね、という。僕なんかは、自分の役柄が「実は死んでるんじゃないのコイツ」と思ってやってることが割と多いです。寅さんとかもそうでしょ。死んでるんですよね、寅さんてきっと。とらやの人たちにとって、「こんな人がいたらいいな」という幻想で、幽霊なんですよ実は。っていう見方もできるわけで。答えを聞いてしまうとつまらない。答えがないって言われるとがっかりしちゃう。大体『闇打つ心臓』というタイトル自体、聞いたことがない日本語でしょう。主語はなんなのか、とか。でも面白いじゃない?って長崎は思っていると思う。

─ここまでお話を伺って、ようやく分かりかけてきました。映画について意味を知ろうとするのではなく、自分なりに感じて楽しめばいいのだな、と。

うん、多分長崎にね、10時間くらいインタビューしても答えなんて出ないと思うよ(笑)。なんで俺たちは「理解しようとする」かね?音楽だったら、理解しようなんて思わないでしょう。ポカーンと聞いて、ダイレクトに感じる。そんな感じに映画がなればいいなあ。ストーリーは忘れちゃってても、ずっと残る映画ってあるでしょう。子供の頃『007』を見てたら、こういうシーンがあったんですよ。女の子が「あたしが運転するわ」て言って席を替わってジェームス・ボンドの帽子をかぶる。すると対向車から撃たれちゃうんだよね、間違えられて。それを見たときに「世の中って幸せじゃないかもしれない」って強く思ったのね。ストーリーとしては印象に残っていないけれど『クレオパトラ』もそうなの、「死んでるじゃんクレオパトラ!!」ってすごくショックを受けたの。世界はハッピーじゃないかもしれない、って。その感覚が、僕の原体験かもしれないね。

─最後に、これから映画を見る人に向けてメッセージをお願いします。

これまでの映画やドラマに対する見方を、少し変えてみるのも楽しいかもな、ってことが伝わると嬉しいですね。映画や演劇を見る=理解するって思い込んでいる人が多い。理解するんではなく、種をもらいました、くらいでいいと思う。何年後かに花が咲きました、っていう。とにかく、あれこれ考える前に、出会ってからお話しましょう、という感じかな。


俳優・内藤剛志とリンゴォ。二つは彼の中で不可分なものなのかもしれない。

次は、内藤氏と同じく、当時伊奈子役で主演し、今回も同役で登場している室井滋氏のインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-13 12:26 | インタビュー
長崎俊一監督インタビュー
23年前に撮影された映画をもう一度同じ監督、役者で撮る。「どうしてまた同じ題材で映画を作ったのか」。製作する上での意味、思い、葛藤を長崎俊一監督に聞いた。


f0087322_21251416.jpg—今回の『闇打つ心臓』を製作する発端は?

プロデューサーの佐々木史朗さんが、オリジナルの『闇打つ心臓』(1982年/8㎜)をなぜか気に入ってくれていて、リメイクを考えられないかと何回か言われていたんです。
でも、しばらくは考えられなかったんですね。
その理由として、自分の中で一回作ってしまった作品である、ということですよね。
そのことはやっぱり大きくて、もう一回作っていくことが自分にとってどのような意味があるのか、ということが掴めなかったんです。

—古今東西映画に“リメイク”ということは沢山あるわけですが、長崎監督なりにイメージがあったのですか?

いや、そういうことではなくて。ただ、この『闇打つ心臓』に関しては自分が作った作品をもう一度自分の手で作り直すってことになるわけじゃないですか。
オリジナルはストーリーとしてのおもしろさよりも、自分の気持ち…作っていた時に思っていた事、感じてた事がけっこう大事な映画だったと思うんですよ。大事だったというか、自然とそうなっちゃったんですけどね。だから、それを改めて20何年後かにもう一度作るっていった時に、意味っていうか動機みたいなことが自分の中で必要だったんですよね。
それが、時間が経ってだいぶオリジナルっていうものが遠いものになったし、割と突き放して考えられるようになったのと、当初は本当に曖昧なイメージだったんですけど、今の若い人でやり直すってことが自分にとって新しいことのように思えてきたので。

—違いは何でした?

すごく大げさになっちゃうんだけど、内藤と室井でやってた時は若かったし、自分たちの存在証明的な、ネガティブな話ではあるんだけど、どっかそういう気分が作っている僕にもあったし、たぶん内藤や室井にも濃厚にあったと思うんですよね。
で、どうも今はそういうことじゃないよなっていう…。自分の中でもそんなに濃厚に自分の存在証明なんてする必要もないし、あるいはできないし、生きている意味なんていうのは非常に、一転ね、希薄なものになっちゃったよなぁっていう…。そこら辺の違いかな。

—できあがった映画のかたち(ある種3つのパーツが絡まるかたち)にはどう落ち着いたのですか?

まず、若い子達だけの脚本を作ったんです。その中で、何かすごく…言葉にしづらい“何か”が足りないって思ったんですね。もしかすると、若い人たちでやろうって思い付いたけれども、やっぱりリメイクと自分の距離感、リメイクするってことに対する自分のとまどいとか、素直に「ハイやろう」ってならなかったことっていうのが、澱のように残ってたんじゃないかって思う。
そこで、ドキュメンタリー部分を作ったんですよ。そこでは、リメイクをしている若い俳優がいて、ところどころで俳優内藤と女優室井が出てきて、リメイクに関わるという形にしたんですね。
それで、内藤と室井にこういう映画を作るんだけど出てくれないか、って話してみると、彼らは彼らなりにオリジナルに対する思いがあるんですよね。当時は彼らも今ほど忙しくないし有名でもなかったけど、逆に言うとそれだけにある種の思いがあって…。その作品をリメイクするってことになると、リメイクに対する思いも当然あるわけですよね。そうすると、それもやらないとマズイんじゃないかって。で、23年後のリンゴォと伊奈子を脚本に書き加えた。
なおかつ、そうなるとオリジナルの映像もあった方がいいんじゃないかとなり、今のあの形になっていった。

—結果、「リメイクはできない」っていう映画になった気がするんですよね。

うん。あの…そうですね、そうだと思いますね。
たぶん、その内藤と室井がドキュメンタリー部分だけでなくて、やっぱりオリジナルの役の23年後として出てくることになった時に大きく変わっていって、例えばオリジナルと現在の内藤と室井がカットバックになった時にそれだけで、語りかけてくるものがあったりするんですよね。
それは、一種の見せ物でもあるし、やっぱり時間っていうものを考えざるを得ないし。
そのことから、映画のリメイクではなくて、人生のリメイクはもうできないじゃないかっていうような気分に大きく傾いていったんじゃないでしょうか。
同時に、結局はこの映画の出発点である“リメイクするということにどんな意味があるんだろう”っていう所に戻っていった、てことかなぁ。

—ある程度変わっていくことや、付け足されていくことをよしとする作り方を、どこかで選んでしまっているんですかね。

作品によって違うんですけど、僕の映画はそうなりがちではあると思いますね。
この『闇打つ心臓』はその中でも特別です。佐々木さんに言われて「リメイクする」ってことに戸惑ったことがどうしても出発点にあるんですよ。作ってる時もどっかにあったんじゃないかなと思うんです。だから余計に手探り状態っていうか、わからない状態で。決してその現場でね、例えばシナリオが大きく変わっていったりってことはないんですよ。ただ映画が動いていって、結果としての映画がどうも当初考えていたものと違うものになったっていう、その度合いが非常に大きいんですよね。そんなこと映画でやるべきことなのかどうか分からないけど、ふとした拍子に自分が死ぬことだったり、時間のことを考えちゃったり。手探り感っていうか。それはすごく大きかったですね。何やってるかわからないっていうか。
だからもう、立ちすくむしかないような感じって言ったらいいんですかね。誤解を招くような言葉だけど、そんな感じはちょっとありましたね。

f0087322_21261835.jpg—さて、82年製作のオリジナル『闇打つ心臓』のお話です。
『九月の冗談クラブバンド』が1千万映画でスタートして途中で事故を起こして、映画がねじれるような形になり完成する。その後『闇打つ心臓』を撮るということは大きな意味はあったのですか?



たぶんありましたね。まぁ1つは事故があったりするということは、映画としてはうまくいかなかったわけですよね。そのことを考えたんだと思うんです。それまでは、本当に無邪気に映画を作っていた。“こうするとかっこいいなぁ”とか。でも『九月の冗談クラブバンド』を経た時にやっぱり自分たちの手で作る映画作りの方法とか内容とか考えたんですよね。入院もしてたし、その間に色々考えた。それが『闇打つ心臓』だったと思うんですよ。セットに飾りもなく役者さんもメインは2人だけで、と考えられる最小限の形で撮りたいと思ったし、中身もそれまで自分が作っていた映画とはだいぶ違っていた気がします。
ただ、この間久しぶりに『九月の冗談クラブバンド』を見たら、どうやって大人になるかとか社会に出て行くかっていう映画に見えた。当時若ければ誰でも思うそのことを巡る“ためらい”についての映画に見えて、自分にとってそれはけっこう新鮮だった。なんだ、当時の自分のことを映画にしてたのかって。そんな映画作ったつもりなかったんだけど。
それでその後、『闇打つ心臓』を作った時に僕は世の中に出たんだと思うんですよね。いや、世の中のシステムを意識したっていうか…。

—先程「分からなくなった」とおっしゃっていたんですが、長崎さん、案外自由になったんじゃないんですか?

ずいぶんいい言い方ですね(笑)。いいかげんなだけかもしれない、いや、映画はちゃんと作りますけどね(笑)。ただ、映画だぞっていう強がりを今回の『闇打つ心臓』をやっている時はあまり感じなかったんですよね。不思議な感じでした。
さっきから話しているドキュメント部分も、内藤がチャーミングに見えたい、それはリンゴォということでも、室井でも、伊奈子でも、若い二人でもいいんだけれども、それが目的だったという気が今はします。
8mm版『闇打つ心臓』の若い二人が23年後新たな『闇打つ心臓』で部屋から外に出て、かつての自分かもしれない若いカップルに出会う。それはそれでひとつの物語にはなったんだけれども、それだけじゃ納まりがつかなくて。これは内藤演じるおじさんが魅力的に見えなければいけないな、と。僕にはオリジナルで内藤がリンゴォという役を演じると同時にあの時の内藤本人でもあった、という意識がある。今回もそういう要素が欲しくて、それがあって初めて役がチャーミングになるのかなと思ったんです。それはドキュメンタリーだろうがドキュメンタリーじゃなかろうがいいんですよ。どこかはみ出ているところがほしい、それが『闇打つ心臓』という映画に必要なんじゃないか。ドキュメンタリーだからって事実だけが描かれているとは限らない。「そんなばかな」ということでいいんです。内藤のイメージ全部を使って、それは室井も同じなんだけれど、罪に悩んでいるけれどもチャーミングに見えてくる、というね。そういうことを考えていたのかもしれないですね。

監督の言葉ひとつひとつから映画に対する“真摯”さが伝わり、『闇打つ心臓』(8mm版)がいかに監督にとってのターニングポイントであったかが分かった。

次は、自主映画時代から長崎監督作品に多数主演し、いわば長崎監督の分身ともいえる内藤剛志氏にインタビュー!

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by yamiutsu | 2006-03-10 21:32 | インタビュー